頬を伝う涙と本音

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

「もう、叶うことはないんだよ。昔みたいに、子どもたちと一緒に成長することも、一年を共にしながら色んな感情を味わうことも。何より、そばで子どもたちを抱きしめることも、もうワタシにはできないんだよ・・・」

そう涙ながらに話したワタシは、久しぶりに感情を表にだして彼に想いを伝えました。

その言葉を聞きながら、彼もまた同じように涙を流し言葉に耳を傾けていたのです。

一つひとつの想いをこぼさないように…。

映画を観たり、悲しいお話を聞いたりするとすぐに泣いてしまうワタシは、自分のことになると急に泣くことを我慢してしまいます。

目に力を入れて、涙がこぼれ落ちないように真っ直ぐ前を向いて、ひたすら耐えてしまうのです。

それは昔からの癖なのか、泣くことを怖がっているのか、自分では分からないくらい泣くことを極端に避けていたのです。

乱れるココロ

最近のワタシは、少しだけ心が乱れてしまうことが増えていました。

天気のせいなのか、それとも仕事に行かなくなった不安なのか、ありとあらゆる角度から気持ちが上がったり下がったりすることがありました。

けれども今の気持ちを言葉で伝えようとすると、喉の奥で言葉が詰まってしまうような、吐き出したくても吐き出せない魔法にかかったような、そんな気持ちになることが多くありました。

そして何度も自分に言い聞かせていたのです。

「大丈夫。今は辛い期間が長いだけ。それもいつか笑い話になる日が来るから。大丈夫、今だけだよ。今だけ耐えればきっと、きっとね」と。

けれどもその言葉を言い聞かせるたびに、自分を励ますたびに、心が少しだけ重たく、そして感情が鈍くなるような気がしていました。

本当の気持ちに気づかないフリをして、本音を隠すようにして。

風が記憶を運んで

ある時ワタシはいつものように、彼と一緒に出かけていました。

病院に行った帰りに少しの時間、外の空気を吸うために車に乗り込み、助手席のドアガラスを開けて風に当たっていました。

秋の香りが車の中まで通り抜けていくように、髪の毛も、肌も、そして車内も、全てが秋色に染められていくような、そんな感覚になりながら顔を少しだけ出して外を眺めていました。

どこかで嗅いだことのある懐かしい匂いに、胸がキュッとなる感じがして、どこかで感じた感覚に目頭が熱くなる感じがしました。

(これはきっと、保育園で働いていた時に感じたやつだ・・・)そう思うと、今にも涙が溢れてきそうになってしまい、どうにかして気持ちを変えるためにドアガラスを閉めて、音楽をかけて、いつもよりもボリュームを上げて何も考えないようにすることだけをまた考えていました。

疲れた体と無口な時間

家に帰ると何もしていないのにどっと疲れたような感じがして、ワタシはいつもの定位置に座り、何もせずにぼーっとしていました。

彼が話しかけても、ワタシの耳には届くことはありませんでした。

顔を覗き込まれたり、手に触れて何かを訴えられても、感情が動くことはありませんでした。

「ねえ、納言ちゃん。どうしたの?」

「・・・」

「話したくない・・・?疲れちゃった?」

「・・・」

「何か辛いことでもあった?何か嫌なことでもあった?」

「わからないよ。もう何が辛くて、自分がどうしたいのかがわからないよ」

「そっか。気持ちがいっぱいいっぱいになっちゃったんだね」

「ワタシは、ただ好きな仕事をして、子どもたちに囲まれていたかっただけなのに。どうしてそれすら、叶うことができないんだろう。すごく、すごく簡単なことなはずなのに、とても難しくて、すごく苦しいことみたいに感じる」

「うんうん」

「でも、自分でもわかってるんだ。もう、保育園とか幼稚園とか、そういうところで保育の仕事ができないことは」

君の姿を重ねると

そうぽつりぽつりと話していくうちに、ワタシは長らく流していなかった涙を流しながら、彼の顔を真っ直ぐ見つめて、思った言葉をそのまま伝えていました。

その姿を見ながら、彼もまた涙を流し、時折頬に流れる涙を拭いてくれていたのです。

「僕はね、子どもたちの話をしている納言ちゃんが大好きなんだ。仕事をしている時に、保育園の近くを通ると、歌声が聞こえてくることがあるんだよ。その時に・・・その時にいつも泣きそうな気持ちになる。『あぁ、納言ちゃんはこうやって先生をしていたかったんだな』って。それができないから、辛いんだろうなって」

「ワタシにはもう、頑張る力が残ってないと思う。もう一度、どこかで保育士として働く勇気も気力も残ってないと思う。それくらい、過去に受けた傷が深すぎて、それに気づくのが遅すぎたんだと思う。どうしようもないことなのに、悲しくて、悔しくて・・・辛いんだと思う」

二人で話していた時間は、とても長く、そしてゆったりとした時間が流れていたような気がします。

そして自分の本音を話しながら、改めて再確認をすることとなったのです。

もう、あの場所には戻れないことを。

「先生」として子どもたちの成長を喜びながら、あらゆる感情を体験することも。

それができないとわかっているからこそ、余計に気持ちに整理がつかずに足踏みをし続けていたのかもしれないことも。

新たな形を探すために

けれども悲しいことばかりではありません。

こうしてエッセイを書いているのは、いつの日か、「保育士になりたい」そう言ってくれた子どもたちが大人になるまでに、心の底からこの仕事を好きでいられるようにするために、今ワタシは別の形で先生として奮闘していることを知ることができたのです。

それがどのような形でこれからの未来につながるか、それは今のワタシでは想像することさえ難しいこともあります。

けれども、今でも子どもたちはワタシの思い出の中にあり続け、そしてたくさんのことを伝え続けてくれているような気もするのです。

あの子たちの笑顔を忘れないために。

そしてどこかのタイミングでもう一度会えた時に、また「先生」として昔と変わらないままで会えるように。

 

ナイーブな私に勇気をください

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