4歳の頃の先生は、厳しくも愛情にあふれた先生でした。
その先生と一緒に保育士として働きたくて、その気持ちを大人になるまで持ち続けていたのです。
大人になる過程であらゆる人に出会いました。
それは決して素晴らしい人たちではなく、当たり前のように見た目で差別をしたり、感情だけで区別をするような人ばかりでした。
容姿が気に入らなければ仲間に入れてもらえない、自分と合わないからといって人格までも否定して話もしてもらえない。
そんな環境にいたからこそ、ワタシは子どもたちにずっと言い続けていた言葉があります。
「自由でいいんだよ。好きなことをやって、苦手なことも一回試してみてできなかったら無理にやらなくてもいいんだよ。誰に何を言われても毎日が楽しくなることに一生懸命になる方が先生は素敵だと思うんだ」と。
歪んだ正義
ワタシはあらゆる歪んだ正義に直面してきました。
価値観が違って、考え方も違って、好きなことも苦手なことも違うのだから、それぞれが得意なことを認め合って、苦手なところを助け合って生きることが当たり前だと思っていたんです。
けれども、誰かが作り上げた「当たり前」にあふれてしまえば、その瞬間に「変わり者」だったり、「使えない人」の烙印を押されてしまうこともありました。
それぞれの生き方に正解も不正解もないはずなのに、どうしてだか白黒つけようと必死になって周りをふるいにかけようとする人たちがいました。
だから当たり前になれなかった人たちは、誰かが作った「当たり前」に馴染むために必死で個性を消して、白になったり、黒になったりしながら心を守るようになったのです。
優柔不断になることで、歪んだ正義を振りかざす人たちの意見を取り入れることで、なんとか自分の立場も心も守り生きていくことを選んで。
大人の世界に浸かりながら
学生の頃から歪んだ正義の中で生きすぎたせいで、「当たり前」に属すことができませんでした。だから周りの顔色をうかがって、求められる以上のことをしながら自分の居場所を確保することで精一杯だったのです。
そこに自由もなければ、自分としての生き方もありません。
誰かのために、小さな世界のために、一つひとつ感情を捨てて、気持ちを隠して、生きることを選んだのです。
けれどもどこかで「大人になればきっと、自分らしく生きることができる日がやってくる」と微かな希望を抱いていました。
そして大人になったとき、子どもの世界とはまた違った歪んだ正義を経験し、そしてさらに心は壊れていくようになったのです。
年齢層もバラバラな人間たちが同じ仕事を一緒にやっていくには、やっぱりその場所で力を持っている人に従っていないと、うまくいかないことを学びました。
たとえ自分なりの思いや信念があったとしても、歪んだ正義の前ではその信念さえ簡単に曲げざるを得ない環境が大人の社会でも存在していたのです。
純粋な彼らに
学生の頃には歪んだ正義のもとで、自分自身を見失いました。
大人の世界では、新たなルールや社会の厳しさを色濃く感じ、そしてまた環境や人に染まる道を選ぼうとしていたのです。
けれども唯一、何色にも染まらない自分の色を持った存在が子どもたちでした。
今からあらゆる経験を経て、自分なりの色を見つけていく年齢です。
そんな彼らと関わる時だけは、昔の純粋だった頃に戻れるような気がしていました。
どんな些細なことでも楽しんだり、誰かの成功を心から喜んだり。時には悲しい気持ちを分かち合い、涙を流すこともありました。
そうやって彼らと過ごす時だけは、自分の気持ちに素直になって歪んだ考えを払いのけることができていたような気がします。
ワタシの正義は
そして何年も保育の現場で子どもたちと、あらゆる色を見つけながら、それぞれの感性の赴くままに毎日を過ごすことを楽しみました。
大人になってから見えなくなってしまった景色を同じような目線に立ち、知ることができました。
どれだけ些細な出来事だったとしても、私たちにとっては一生忘れられない宝物を見つけたみたいな気持ちになりました。
思い出を宝物に変えて、一つひとつ丁寧に拾い集めていったのです。
けれども、ワタシがどれだけ子どもたちと自由な時間を過ごしても、どれだけ好きなことだけを楽しんでも、大人の世界で歪みきった人たちは、その姿をいいとは思わなかったようです。
だから「足並みを揃えて」とか「子どものことを考えて」なんてくだらない言葉を吐き捨てて、自分のエゴを突き通そうとしていました。
そうした環境の中では過去の染まり続けた記憶が思い出されてしまい、少しずつ歪んだ世界に足を踏み入れそうになるのを耐え続けた結果、保育士として働くことが難しくなってしまったのです。
あの頃の記憶を辿りながら
組織の中で保育士として働いていた頃、ワタシは心の底から素直になることができませんでした。
それは学生時代の癖だったり、大人の社会で学んでしまったことが蓄積されて、本当の自分を思い出せなくなっていたのかもしれません。
けれども子どもたちと関わっていると、今まで感じたことのない自分に出会えることができました。
前向きで、おおらかで、どんなことも一緒に楽しもうとする自分に。
だから子どもたちの前では、きっと大人の世界では言えなかった素直な気持ちをそのまま伝えられていたんだと思います。
どんなことでも一生懸命になって、時には我も忘れて子どもたちと共に泣いたり、怒ったり、驚いたり、大笑いしたり・・・。
そうやって自分らしさを、あの子たちの前だけは出せるようになっていたんだと思います。
そして今、ワタシは会社不適合者となり、社会の中で働く道を諦めました。
「先生はね、好きなことを好きなようにやりながら暮らしたいんだ」と話したら、きっと子どもたちは「すごくいいね!」「楽しそう」なんて言いながらまっすぐ応援してくれると思うのです。
そして、「先生」として言葉を伝えられる機会はなくなってしまいましたが、それでもワタシは文章を書き続けていたら、どこかで子どもたちに会えるのではないかと思っているんです。
その時には、あの頃みたいに伝えたいと思います。
「みんなにはあらゆる可能性があって、どんな色にもなることができるんだよ。好きなこと、楽しいことを、自由にいっぱいしていってね。たとえ誰かに否定されることがあっても、先生はその夢を、その気持ちをずっと応援しているからね。一人ぼっちになることは決してないんだよ。だから、自分に自信と誇りを持ってね」と。
ナイーブな私に勇気をください
自由でいいんだよを読んで
お子さまは、ある意味白いノートのような心を持っていますね。
白いノートに何を書き込んでいくか。
そんな感じを受けました。伝える人、当然大人になりますが、伝え方によって白いノートが暗くなったり、明るくなったり、多大な影響を受けると感じました。
ありがとうございます。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
TKさんのおっしゃる通りで、いつも真っ白で何も描かれていないキャンバスが彼らの心に存在しています。
嫌なことがあったとしても、友だちとたとえ喧嘩しても、ページを切り取れるようにまた新しい白色のページが出て来るんですよね。
ただそれでも、そのページは無限ではなく辛いことや悲しいこと、そして心に傷をつけるような言葉が少しずつページに色をつけていくにつれて、大人になってしまうにつれて、その純粋さを失っていくような気がします。
だからこそ彼らにはありのままの自分を、等身大の自分を愛していいことを伝え続けていきたいと思うのかもしれません。
少しずつ汚れてしまったことへの罪悪感をなくすためにも。