鎮痛剤依存症

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

私は約4年ほど、鎮痛剤依存と向き合っています。

それは過去の付き合っていた元彼と、結婚を考えていた頃に別れてしまい、仕事も上手くいかなくなった頃から、手放せなくなり始めたのがきっかけでした。

決して依存したかったわけではありません。

ただ少しでも、痛みが緩和されることを望み、よくなるために飲んでいたはずでした。

しかし、今では鎮痛剤を飲まない日はほとんどありません。

そして薬を飲まないと、生活に支障が起きてしまうほど痛みが強く、依存度も高くなってしまったのです。

少しずつむしばまれていく体

私の母は、片頭痛持ちでした。

幼い頃に「頭がいたい・・・」と言って、ベッドに横になって苦しんでいる姿を何度も見ていました。子どもながらに「頭が痛いんだ・・・。そんなに辛いんだ。母ちゃんが死んじゃったらどうしよう」と考えてしまうほど、時には悶絶するほどの痛みに襲われて苦しむ母の姿を見ていました。

そして大人になり、仕事を始めるようになってから、私も度々片頭痛になることがありましたが、滅多に薬を飲むことはなく、もちろん肌身離さず薬を持っているということもありませんでした。

しかし、幼稚園を辞めて新しく保育園に就職してから3年ほどが経った頃、少しずつ激しい痛みを感じることが増えていきました。

頭が割れそうな時もあれば、目の奥から鈍く重たい痛みを感じることもありました。

そこで頭痛外来を受診して、血液検査やMRIなども試しましたが、遺伝性の片頭痛と診断され、「上手く付き合っていくしかないね」という答えとともに、薬を処方されました。

頭痛に襲われると、全てのことが止まってしまいます。

日常生活に支障をきたし、寝ることが1番の対策だと言われても、痛すぎて眠ることもできない。

頭の中で誰かが、目の奥を踏みつけているのか、それとも両側からこめかみをギューッと押そうとしているのかも分からなくなるほど、痛みは継続的に続いていきました。

けれども1度病院を受診して以降、数年間、頭痛外来に行くことをやめてしまったのです。

「どうせ行っても無駄だし」という気持ちが勝ってしまい、そこから私の市販薬に依存する日々が始まりました。

市販薬に依存して

仕事が忙しくなり始めてから、ストレスと不眠は続き、痛みで起きて、ぼーっとしながら仕事をすることもありました。

カバンの中には常に市販薬が何十錠も常備してあり、家に出る前に2錠、仕事中に2錠、給食を食べた後に2錠、夕方に2錠、そして家に帰り2錠飲むという狂った生活を頻繁に送るようになりました。

少ない時で4錠で収まる時もあれば、ひどい時だと12錠も薬を飲むこともありました。

いつしか私は薬がないことに不安を感じ、薬を飲んで安心するという、まさに依存的な体になってしまったのです。

そして薬を多用するようになってから、食欲は落ち、みるみる痩せていきました。

口にしているのは大量の水と薬、そして少量の食事だけ。そんな不健康な生活は約4年にわたって続きました。

そして数年ぶりに訪れた頭痛外来で、再度血液検査をしてみると、私は栄養失調だということが判明したのです。

食事もろくに取らずに、薬ばかりに頼り続けていた体は、もうとっくに限界に達していたことに、ようやく気づいたのです。

いまだに治らない依存症

仕事から離れてもう直ぐ1年が経とうとしています。

昔のように薬を多用することは無くなりましたが、今でも市販薬、もしくは病院でもらった薬を飲まなければ、1日を過ごすことはできません。

そして何より、頭痛が起きてしまった時の痛みに恐怖感があることも、薬を断つことができない理由なのかもしれません。

痛みを緩和する代わりに、私は大きな代償を背負いました。

痩せすぎた体と過度なストレス、そして鎮痛剤に依存したことにより、健康だった頃を取り戻すことは、いまだに出来ていません。

そして今も闘い続けている最中です。

もう何年も一人前のご飯を完食することが出来ていません。

鎮痛剤は常にカバンに常備されていて、飲まない日がないほど私は依存してしまっているのです。

痛みと向き合って

仕事をしていた頃、まともに眠ることが出来ずにいました。

常に痛みと共に起きて、痛みの中で仕事をしていました。ご飯を食べる元気もなく、気力だけで毎日を乗り切っていました。

何より心の安定剤として、頭痛薬を持ち歩いていたのです。

それほどまでに追い詰められていた頃と今では、大きく変わったことがあります。

睡眠時間を作ることが出来ているし、ご飯も完食はできないけれど、少しずつ量を食べられるようになってきました。

誰が見ても栄養失調そのものだった体も、少しずつふっくらして「元気になってきたね」と言ってもらえるようになってきました。

それでも治ったわけではなく、ゆっくり時間をかけて自分の体と、そして痛みと向き合っている途中なんだと思います。

自分の体と向き合って、周りの人に助けられて・・・。

伝えたいこと

今でこそSNSで、沢山の方々が「納言さん!」と声をかけてくれたり、時には私の投稿を見て褒めてくれたり、ブログを読んで感想をくれることも増えてきました。

しかし、数ヶ月前までの私は、皆さんが思っている私ではありませんでした。

そして、無意識の中でベルトを持って脱衣所に向かい、慌てて追いかけてきた夫に「お願いだから、もう仕事を辞めて・・・。お願いだから」と泣かせてしまったこともありました。

生きていることが本当に苦しかったんです。

自分が自分でなくなることも、大好きだった仕事が続けられなくなっていることに気づいたことも、本当に苦しかったです。

夫は私が元気だった頃を知りません。

出会った時はガリガリに痩せて、ご飯を食べてもトイレに駆け込む姿しか見たことがありませんでした。

突然大きな声で泣き叫び、ひたすら謝り続ける姿を何度も見ています。

一緒に暮らし始めてすぐに、私は仕事を休職しました。それからの数ヶ月間、私たちにとっては本当に地獄のような日々を過ごしていました。

何をするか分からない人間と一緒に暮らすことは、彼にとっても大きなストレスを与えていたと思います。

そして結婚式をする一カ月前に、私は仕事を辞めて、式当日はうつ病の真っ最中でした。

人生の中で主人公になれる特別の日に、私は心の病と闘っていたのです。

それでも今こうして、生きています。

そして新しいことを始めて、沢山の方に支えられていることも日々痛感しています。

夫の支えがなければ、友人が寄り添ってくれなければ、家族が手を差し伸べてくれなければ、今の私は存在していません。

そして何より、皆さんと出会い、声をかけてくれたり、関わってくれることは、今まで失い続けていた自信を取り戻すきっかけとなりました。

世の中には私と同じように、うつ病で苦しんでいる人がいると思います。

鎮痛剤が手放せなくて依存症になったり、摂食障害に悩んでいる人もいるかもしれません。

ただ一つだけ、言わせてください。

どうか自分を責めないであげてください。

人と比べたり、出来ないことばかりを見ようとしないでください。

誰にだって得意不得意はある。

けれどもそれ以上に心の中にある、あなただけの才能の芽を持っていると思うのです。それはきっと、あなたしか出せない魅力として、綺麗な花を咲かせる日がくると私は思います。

そして、もしも身近な人が苦しんでいるときは、言葉ではなく、寄り添ったり抱きしめたりしながら温もりを分けてあげてください。

その優しさに救われる瞬間があるはずだから・・・。

私は、全ての人の傷を癒すほど出来た人間ではありません。

特殊な能力や魔法も使えません。

ただ私にも才能の芽があるのだとしたら、エッセイを通して苦しみの中にいる人に寄り添うことは出来ると思うんです。

苦しい気持ちを沢山味わい、痛みを知っているからこそ、私には私のやり方で、そっと寄り添うことをさせてください。

そして最後に…

「今は苦しくて、何も見えない暗闇の中にいると思うかもしれない。けれども、少しずつ雨が上がり、雲の隙間から光が差し込むように、前を向けるきっかけが現れるはずだから。それまでそっと寄り添わせてください。そしていつか、勇気の一歩を踏み出した時、きっと世界に色がついたように、今まで見えなかった景色を見ることができるはずだから・・・」

ナイーブな私に勇気をください

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