4月からブログを始めて、もうすぐ1ヶ月が経とうとしています。目まぐるしく流れていく中で、文章を毎日書くことは、容易ではありませんでした。
過去の記憶をたどりながら、時には負の感情に飲み込まれてしまうこともありました。
私は一体、何を書きたかったのだろう。
どんなことを伝えようとしているのだろう。
そして、誰が読んでくれるのだろう。
そんなことを考えながら過ごす日々は、楽しいというよりも不安の方が大きかったと思います。
仕事を辞めてからというもの、疎外感を常に感じながら過ごしていました。忙しく回り続ける社会の波から外れ、永遠にも感じられる時間を潰す作業をしていく。
それが、私の生活でした。
うつ病と孤独
まだ仕事を辞めたばかりの頃、文章を書くことさえもできずにうつ病という心の病と向き合っていました。
誰もいない部屋にただ一人きりでいる時間が、本当に怖かった。
無機質な空間にいるようで、狭いはずなのに果てしなく広く感じる部屋に一人きりでいることが、どうしようもなく辛かった。
いつか消えてなくなってしまいそうな心を、なんとか保つことで精一杯でした。
無駄に窓を開けて、車や飛行機が通り過ぎる音を聞きながら「社会の中に、私はいる」そう思うようにしていました。
風が運んでくれた季節の香りを確かめながら、自分の存在も確かめていました。
しかし、ふとした瞬間に孤独はやってきて、言葉で表すことが出来ないくらいの恐怖を感じる瞬間がありました。
誰かが私の耳元で、そっと呟くんです。
「お前は、社会に属すことも出来ない無能だよ」と。
全身が震えてしまうから、両腕で体をギュッと握り、何度も感覚を確かめていました。
そして自問自答するのです。「私はやっぱり、社会に属せない人間ですか?」と。
誰かが答えてくれるわけでも、助けてくれるわけでもなく、私の言葉が頭の中で何度も再生されていく、まるで壊れた古いステレオみたいに、何度も何度も言葉は繰り返されていました。
たった一人の世界に取り残されているような状況は、まさに孤独そのものだったのです。
鎮痛剤依存
今から4年前に、私の体はおかしくなり始めていました。朝起きると頭に激痛が走り、起き上がることさえ辛い日がありました。
それでも頻度は多くはなかったのですが、徐々に1週間に一度は激痛が走るようになり、3日に一度、2日に一度、そして最後は、ほぼ毎日謎の頭痛に悩まされていました。
朝起きて痛み止めを飲み、昼前、給食後、夕方、そして夜というペースで飲むようになっていました。
ひどい時には1日12錠も服用している時もありました。
どれだけ飲んでも治らない頭痛は、次第に体をむしばみ、食欲を失せさせていきました。食事の代わりに鎮痛剤を摂取して、ボロボロの体で仕事をしていました。
もう長い間、一人前のご飯さえ食べれていません。
そして今でも、鎮痛剤が手放せなくなっています。痛みを誤魔化すために、依存し続けた代償を背負いながら。
夫婦の夢を叶えるために
うつ病の時に夫と出会っているから、夫は私の元気な姿を知りません。
気持ちが沈み、一言も発しない時がありました。
どこにもぶつけられない怒りを、夫にぶつけた時もありました。
体が不十分だから、まともに1日出かけられることも出来ませんでしたが、それでも「大丈夫、時間が解決してくれるから。焦らずに行こうよ!僕はこうしていられるだけで十分だから」と寄り添い続けてくれました。
夫には、想像している何十倍も辛い思いをさせてきたと思います。
それでも見捨てずに支え続けてくれたことに、感謝しかありません。
そして私がエッセイを書き続けられるのは、「君の言葉は、きっと多くの人に勇気を与えるよ」と言い続けてくれた夫のおかげです。
誰よりも近くで見てきたからこそ、夢を応援してくれているからこそ、彼の言葉が私の勇気になりました。
そして私の夢は、いつしか夫婦の夢となりました。
どん底に落ちた時、文章を書くことで自分の心を整理することが出来ました。誰にも認めてもらえないと思っていたものが、文章を読んでもらい、感想を頂けたことで大きな勇気に繋がるようになっていきました。
社会から疎外されたと思っていた私にとって、どんなことよりも励みになったのです。
「同じ気持ちの人がいるんだ、私は一人じゃないんだ」そう思えるきっかけでもありました。
エッセイを書き、ブログを始めるようになってから、今が一番、自分自身と向き合っているのかもしれません。
きっと私と同じように、うつ病で苦しんでいる人がいるのかもしれない。
もしかしたら孤独を味わい、真っ暗な場所から抜け出せなくなっている人がいるかもしれない。
そんな人たちに私は、伝え続けていきたいのです。
「あなたは一人じゃないよ。辛い気持ちも孤独も同じように分かるから。今は目の前にある景色が全てだと思うかもしれない。けれどいつか、霧が晴れて、明るい世界が少しずつ見えてくるようになるから。だからほんの少しだけ、私の手を握ってはもらえないだろうか。ほんの少しだけ、体に寄りかかってもらえないだろうか。そうすれば、辛い気持ちも半分になるはずだから」。
身近にいる人だけが、気持ちを分かるわけじゃないんです。
もしかしたら、全く別の人が理解してくれることだってあると思います。
同じ気持ちを味わい、苦しみを知っている人は、この世の中に沢山いるはずだから。そして、私もその一人として、同じように寄り添いたいんです。
苦しみも、悲しみも同じように味わってきたから。
そして今も、一歩を踏み出している最中なんです。
どれだけ時間がかかっても、どれだけ後ろを振り返っても…。
いつか本当の意味で、前を向いて歩ける日が来ると信じています。
私も、そして今このエッセイを読んでくれているあなた自身も。
ナイーブな私に勇気をください