いつも行くコンビニには、つい最近まで「令和6年能登半島地震の募金」と書かれた青色の募金箱が設置されていました。
一月一日に起きた未曾有の地震から4ヶ月が経過し、気がつけば5ヶ月目を迎えようとしています。
震災直後は関心も多く、そしてニュースを見ればどこもかしこも地震に関してのニュースばかりでした。
東北大震災発生から復興と呼ばれるまでにかかった年月は、10年以上。
心の傷を考えれば完全な復興とはいまだに言えない状況だと、何かで読んだこともありました。
家の倒壊、火災、津波、あらゆる被害が能登半島を襲い、家を失った方、家族を亡くした方、友人を亡くした方など、あらゆる悲劇を生みました。
自然の力ゆえに何一つ太刀打ちできない状況に絶望し、そして被災していない多くの人たちは、「せめて何かの力になれば」と思い、募金をしたり、自ら足を運びボランティア活動をされた方もいたかもしれません。
あの震災からたった4ヶ月、何一つ変わらない状況にも関わらず、少しずつ過去のものへと変わっていることに衝撃を受けたのです。
台湾の地震を受けて
能登半島地震の後、台湾でも大きな地震がありました。
私たちの国で起きた地震と重ね、同じように心配をし、それぞれのやり方で言葉をかけ、協力をされた方も多くいたと思います。
国は違うけれど、同じ状況が日本でも起きていた。だから余計に気持ちがわかり、胸を痛めた人が大勢いたと思うんです。
つい最近まではあらゆるところに、「令和6年能登半島地震の募金」として設置されていた募金箱は、名前を変えて「台湾地震の募金箱」へと変わっていました。
それはいつも行くコンビニだけではなく、あらゆる場所でも名前が変えられており、台湾の支援へと気持ちが移り変わったように見えたのです。
実際の光景を目の当たりにして
ワタシはその最中、第二の故郷である石川県に向かいました。
向かう道中では、心の中で「少しずつ街が整備され始めているのではないか」という淡い期待を抱いていたんです。
日本中の人が協力をし、海外からも支援があったとニュースで知りました。
きっとそのお金や物資、そして心は被災地に届いていると思っていたからです。しかし、現実はまるで正反対の状態のまま、一月一日の地震直後の姿で止まっていました。
まるでこの場所だけが、過去に置き去りにされているかのように。
仮設住宅が建設され、日常生活が送れるようになっても、街並みは崩れた家や瓦礫の山で溢れていたし、津波の跡も色濃く残っていました。
ポツンと掲げられた「がんばれ!能登半島」の旗は、今の状況の憤りと虚しさを表しているかのように、時折ヒラヒラと音を立てて揺れていたのです。
せめて二つの募金箱を・・・
台湾の地震を蔑ろにしていいだなんて思っていません。
国が違っていても同じ人間なのだから、困ったときは助け合うことが大切だと思います。
ならばせめて、二つの募金箱を置いて欲しかった。
能登の募金のラベルを変えるのではなく、台湾の地震の募金箱を新たに作って欲しかった。
被災していない側からしたらいつも通りに生活ができて、GWもどこかへ出かけたり、誰かと当たり前のように楽しく過ごせる日常がそこにある。
けれどもいまだに、被災地では仮設住宅にも入れずに避難所で生活をされている方、自分の家族の帰りを待ち続けている方、壊れた家に何度も訪れてその姿を見ながら涙を流している方がいます。
地震発生から「もう4ヶ月」ではなく、「まだ4ヶ月」しか経っていないんです・・・。
どうすることもできない虚しさを
きっとワタシと同じように、いまだにあの地震を忘れないように、できることなら何か助けになれたらと思っている人は大勢いると思います。
けれどもニュースでほとんど報道されなくなり、過去の出来事にされようとしていることに憤りを感じながらも、情報がないばかりに何もできない状況が続いているのかもしれません。
ワタシ自身も、欲を言えば何度も石川県に帰り、そして祖母や叔父の様子を見に行きたい。
そして手伝えることがあるのなら、どんなことでも手伝いたいと思っています。
けれども情報が少ない中で、そしていまだに整備されていない状況を目の前にしては、行動を起こすことも難しいと感じてしまうことすらあるのです。
だからこそ、いつも行くコンビニでふと見かけた募金箱に、どうすることもできない虚しさを、そして忘れ去られていくような感覚に、憤りを感じたのかもしれません。
被災していない側も、心に留めて
かつてワタシは「辛い過去もいつかは美化されてしまう」そうエッセイに書いたことがありました。
けれども、この未曾有の地震は美化してはいけないと思うんです。
辛い記憶を抱えて生きることが正しいと言っているわけではありません。
あの地震で起きたことを、そして実際に住んでいる人たちのことを忘れてはいけないと思うんです。
体験していないことを想像することは、とても難しいことだと思います。けれども、今でも被災地の中で懸命に生きようとしている人たちがいます。
そしてどれだけ心が沈み、絶望に立たされようとも、それでも前を向いて歩こうとしている方々がたくさんいることを、忘れないようにしたいと思うんです。
ワタシに何ができるのか、それは正直今でもわかりません。ただ、本当の意味で復興を迎える日まで、ワタシはこの地震を忘れずに、こうしてブログを通して文章に残し続けていこうと思います。
そしてこれからもできる限り足を運び、できることからやっていきたいと思っています。
それが今のワタシにできる、最大限の忘れないための行動だと思うから・・・。
ナイーブな私に勇気をください