桃色の失恋

オリエンタル納言日常日記

春は別れと出会いが混在する季節だと思っています。

今までの環境や人、そして感情全てに別れを告げることもあれば、その反対に新しい出会いを風とともに運んでくれるときもある。

その時の自分の気持ち次第で、桜さえも見え方が変わることがありました。

桜並木を行き交う人たちの表情が全て曇って見える時があって、そんなときは桜自体もなんだか灰色がかったくすんだ色合いに見えてしまうんです。

しかし、心が今にも踊りそうな時に見ると、全ての光景が鮮やかな桃色へと変化する。

春には、そんな不思議な力があるような気がします。

しかし、今よりも少し前までのワタシにとって春は、残念ながら灰色がかった景色に見えていることが多かったのです。

冬の恋

ワタシがある人と恋を始めたのは、まだ寒さが厳しい冬の時期でした。

かじかんだ手をそっと彼のポケットに入れて、少しだけ距離を縮めながら歩くような初々しい恋愛をしていた頃だったと思います。

握り返される手だけがじんわりと温かく感じ、(この時間がずっと続けばいいのにな)と思うほど幸せでした。

特に何をするわけでもなく、手を繋いで散歩をしたり、話をしたりする時間がとても幸せでした。2人で見つめ合う時間は一瞬時が止まって見えるほど、言葉では言い表せないような空気が流れていくように思えていたんです。

彼はあまり言葉で愛情表現をするタイプではありませんでした。

だから、仕草や行動で愛情を確かめていたんです。

ズレていく関係

少しずつ真冬から春に移行しようとしている時期に、私たちの関係も変化し始めていたんです。

手を繋ぎ、歩幅を合わせながら歩いてくれた彼は、いつしか前をどんどん先に歩いていくようになりました。

その後ろ姿を必死に追いかけても、彼は振り向くことすらせずに、どんどん歩くスピードを早めていきました。

まるでワタシとの心の距離感を表すように・・・。

当時のワタシはきっと、声をかけていたと思います。

「待って、少しだけ歩くスピードを遅くしてほしい」と。

その声が聞こえていたか、聞こえないふりをしていたのかはわかりませんが、自らの歩みを止めて、待ってくれることはありませんでした。

魔の3ヶ月

付き合い始めて3ヶ月が経つ頃には、もう、この関係も終わりを迎えようとしていたのです。

きっと誰が見ても、ワタシに対する愛情は無くなりつつあったと思います。強いて言うなら、「情」それのみでこの関係は、続いていたのでしょう。

ワタシに興味がなくなったのか、理想の恋人像とかけ離れてしまったのか、はたまた全く別の理由なのか、それは本人にしか分かりません。

理由もわからないまま距離を取られていくことに不安を感じたワタシは、何度も話し合いをしようと試みました。

けれども彼の心は分厚い氷に覆われたみたいに、固く閉ざされていきました。

どれだけ努力を重ねても、どれだけ言葉をかけても、この距離が縮まることはなかったんです。

桃色の季節には

季節は冬から春に移り変わり、外に出ると薄手のコートだけで過ごせるようになっていました。

ただ冷え性なワタシは、少しだけ厚着をしてコートのポケットに手を突っ込んだんです。

けれどもその隣に、彼はもういませんでした。

ポケットの中で一緒に手を握り返してくれることも、もうありません。

話し合いもできないまま、一方的に別れを告げられて自然消滅のように3ヶ月の恋は幕を閉じたのです。

自分の気持ちを素直に話すことは、最後までできませんでした。

一緒に悩んだり、考えたり、時にはぶつかったりすることもないまま、この関係は一方通行のまま終了してしまったのです。

たった一人になった時に外に出てみると、桜の蕾が芽を出し始めていました。花を咲かせようと懸命に育っている桜の木は、なんだか心をざわつかせたのです。

桃色の季節に、破れた恋

1人になった時に見た桜の木はとても寂しく、そして少しだけ灰色がかって見えたような気がします。

寂しさに押しつぶされそうな姿を察してくれているように、慎ましく咲く花たちは余計に悲しさを強く感じさせました。

だからワタシは、桜の花が満開になる頃に桃色の景色の中に入ることはしませんでした。行き交う人たちがどれだけ眩しく見えてしまうか、その反対にワタシの姿はどれだけ惨めに見えてしまうかを想像しただけでも辛かったから。

あの失恋以降、お花見に行くことを控えていたんです。

心の傷が癒えないまま、あの場所に立ち寄ることはできなかったから。

感情のままに映し出される景色を

春になると、あらゆる感情が溢れ出てくることがあります。

時には過去の気持ちさえも引っ張り出して、あの時のまま悩んだり、悲しんだり、後ろ向きになったりすることもあります。

けれども少しずつ前を向き始めた時には、目の前の景色は本来の色を取り戻し、淡く美しい桃色が広がっているように見えたのです。

温かく、どこか優しい雰囲気を持ち、美しく凛とした花を咲かせる姿に。

それが桜のもつ力のような気がしました。

カケラを拾い

桜の花びらを見ると、時折悲しい過去も思い出されることがいまだにあります。その反対に、嬉しかった過去や、今の気持ちを素直に表せる瞬間もあるんです。

きっと、今までのワタシは桜本来の姿を見ていたのではなく、道に落ちて何度も踏まれてボロボロになったカケラを見ていたのかもしれません。自分の姿と重ねるようにして。

そんなことを思いながら目の前に落ちていた花びらを拾い、踏まれない場所へと戻したのです。

それがきっと、今のワタシの気持ちだと思うから。

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    桃色の失恋を読んで

     納言さんの淡い切ない失恋を桜に映し出したのでしょうか。笑···あ、失礼!
     日本の桜は、ソメイヨシノがほとんどです。納言さん、ご存じでしょうか。日本のソメイヨシノは八割、一本の木なんですよ。接ぎ木、接ぎ木で北海道から九州まで広がりました。
     植物は強い子孫を残すため『自家不和合性』が多くソメイヨシノも例外ではありません。ようするに自分の花粉では受粉しません。実(サクランボ)を結ぶこともなく、子孫を残すこともできません。
     日本の八割が同一遺伝子を持つソメイヨシノは接ぎ木でしか増えることはありません。仮に他の桜と受粉してもソメイヨシノにはならないようです。
     ソメイヨシノの優しい雰囲気と凛とした花は、そんな背景が作る不思議な力なのかもしれませんね。
     そんなことを考えてさせていただいた失恋のエッセイでした。ありがとうございます。 

    • ソメイヨシノの話、とても素敵でした。
      TKさんがおっしゃる通り、ソメイヨシノが持つ雰囲気が、あの独特の景色が、心にもあらゆる感情を投影してくれる材料になっているのかもしれません。
      美しくも儚いあの景色、ほんの一瞬のあの姿にあらゆる感情を乗せてくれる桜は、どんな美しい花よりも感慨深いような気がします。

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