勇気をくれた子どもたち

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

「ぼくはね、じゆうになりたいんだ。いろんなところにいって、おともだちをたくさんつくるんだ。いつも、なごんせんせいいってたよね?『なりたいとおもったらなんにだってなれるんだ』って。だからぼくは、じゆうになるんだ!」

これは保育士をしていた頃の子どもとの会話の一部です。

常に子どもたちに言い続けてきました。「なりたいと思ったら、何にだってなれるんだよ」と。その言葉を覚えてくれていたのか、彼は、夢を語りながらそう教えてくれました。

保育士になったきっかけ

4歳の頃に担任してくれた先生は、怒るととっても怖いけれど、愛情に溢れた人でした。「いつか先生と一緒に仕事をしたい」と幼いながらに思ったことを今でも鮮明に覚えています。

それはいつしか夢となり、保育士を目指したきっかけになりました。

想いは相当強く、その夢が変わることは一度もありませんでした。小学4年生の二分の一成人式での手紙には、「保育士になるために〇〇の短大にいっていますか?」と具体的な名前まで書くほど、なりたい気持ちは強かったです(笑)。

中学、高校、そして短大に行っても気持ちは変わることなく、大好きだった先生と働ける日を夢に見ていました。

憧れの仕事とのギャップ

大好きだった先生は、私たちを叱る時以外はいつも笑顔でした。

だから勝手に思っていたんです。

保育士になったら、きっと笑顔が絶えない楽しい毎日になるだろうって。

けれど、現実は違いました。

過酷な労働と業務の多さも、そして大切な命を守る責任の重さも、成人したばかりの人間にはその全てが負担になっていたと思います。

また、初めての就職先だった幼稚園は特殊なところだったので、常識が通用しないことばかりでした。けれど夢に見た仕事だったからこそ、どれだけ辛くてもがむしゃらに働いていました。

しかし、過酷な環境とパワハラによるストレスで、夢はたった1年半で終わってしまったのです。

新たに出会った保育園

21歳で仕事も夢も失い、生きる希望を無くしかけていました。それでも心のどこかで「もう一度、保育士として働きたい」と思っていました。すると、ある求人募集に家の近くで働ける保育園を見つけたのです。

緊張しながら求人の申請を行い、日程を決めて履歴書と共に園で面接を受けました。その場で採用された私は、4月から晴れて保育士として働くことになったのです。

新しい保育園で約7年間、保育士として働き続けました。

けれども結局は幼稚園と同じように心を壊して、2022年10月に退職をしてしまいました。

原因は色々あったけれど、全ては新型コロナウイルスの流行が全ての発端と言えるでしょう。逼迫した中で仕事は増え、給料は下がっていく。

どれだけ現場が大変でも、それを理解してもらえない環境がありました。

けれども、悪いことばかりではありませんでした。

子どもたちと触れ合えた約7年間は、私にとって夢のような毎日だったと言えるでしょう。笑って悩んで、時には一緒に泣いて。子どもたちといる時だけが、私らしくいられた時間でもありました。

退職した今も子どもたちのことを忘れた日は、一度もありません。

「会いたい」と何度も思いました。

「一度でいいから、子どもたちをぎゅっと抱きしめたい」と涙がこぼれてしまうこともありました。

ただ仕事を辞めた今は、どれだけ願っても現実になることはないのです。

新たな夢と共に

無職になった私は、文章で今までの体験談を書き、いつか本を出すことを夢に掲げています。子どもたちと過ごした数年間が私に勇気をくれ、そして、夢を叶えるために背中を押してくれています。

きっと「叶いっこない」なんて言われるかもしれないけれど、保育士以外で会えるチャンスかもしれないのです。

子どもたちと歩んだ数年間が無駄にならないように、そして、私たちなんかよりもずっとシンプルな生き方を知っている彼らの言葉が、きっと誰かの心に届くと信じています。

「なりたいと思えば何にだってなれるんだ」そう子どもたちに言い続けてきたからこそ、信じてみようと思います。

いつの日か、子どもたちにもう一度会える日を。

そして、言い続けていたら夢は叶うと証明するためにも。

 

 

ナイーブな私に勇気をください

タイトルとURLをコピーしました