あなたの見ている景色は

オリエンタル納言日常日記

ワタシとましゅぴはそれぞれ夢を持っています。

元保育士として働いていたワタシと、古書店で働いている彼。

そんな二人が目指し始めた夢は、簡単に叶うはずもなく、もはや無謀であり、人生の大きな賭けに出ているようなものです。

夢のためにあらゆるものを、諦めました。

二人の中で何度も話し合いを重ねて、今は自分たちのやりたいことを続けようと決めたから。

だからといって、今の生活に満足しているかといえば、迷ったり、諦めてしまいそうになることもあります。

その度に「夢を追いかけるには、相当の覚悟が必要なんだから」と思うようにしているんです。

そうでもしなければ、諦めてしまいそうになるから。

いつ叶うかも分からない、行き先もゴールも見当たらない冒険の旅は、何一つ予想が立たないのです。

憧れを捨てて

彼と出会うまで結婚することを、諦めていました。

とても極端な考え方をしてしまうワタシは、どこかで「結婚なんて夢の話なんだ。ワタシにはまるでかけ離れたファンタジーの世界と同じくらい難しいことだ」と思うようにしていました。

だから好きな人ができたとしても、結婚を考えたことも、ましてや子どもを欲しいと思ったこともありません。

どこかで諦めようとしている部分もあったのかもしれないし、自分に言い訳を作るための道具として、そのような言葉を吐き続けるようにしていたのかもしれません。

そして友人たちにも、奇跡が起こって結婚できたとしても、子どもは必要ないと言い続けていました。

それは本心でもあり、言い訳でもありました。

保育士をしていたワタシが、子どもを望まないというと、ほとんどの人に驚かれていたくらいでしたから。

子どもたちと関わる仕事をしていたから、余計に楽しさも厳しさも知っていました。だからこそ、中途半端に「子どもが欲しいと」言えない気持ちも大きかったのかもしれません。

たった数時間を共にするのと、人生を背負う覚悟を持つのとは、まるで責任の重さは違うから。

けれどもそんなワタシには、愛する人ができて心境の変化が起きてしまいました。

彼と過ごす中で、「この人となら、我が子として迎え入れることができるのなら、子どもが欲しい」そんなことを思うようになっていきました。

しかし、結婚してから夢を持った私たちは二人で決めたのです。

夢が叶うまでは、全力で走り続けられる今は、子どもは諦めようと。

それは当然のことでもあり、心のどこかで寂しさを覚える感情を抱きました。

世の中には、子育てと夢を両立している人たちだっています。けれどもワタシたちは、器用ではないから、きっと両立をすることができないんだと思います。

そして子どもたちと過ごしてきたからこそ、子育てをしながら何かをする大変さも知っているつもりです。

中途半端になるくらいなら、途中で夢を諦めてしまうことになるのならと、二人で決めました。

夢が叶うまでは、子どもは諦めようと。

羨ましいという感情を

結婚してから、今まで聞かれなかったことを聞かれるようになりました。

お子さんはいるの?

子どもは考えているの?

若いうちに子育てしておいた方がいいよ。

そんなことを言われるたびに、少しだけ胸がちくりと傷んでしまうのです。結婚をしたからといって、子どもを持たない選択をしている人もいる。ワタシたちは、いつか会える日を思い浮かべることもあるけれど、今は自分たちの夢のために生きている。

それは時に、大きな重圧となってのしかかることもありました。

結婚したら子どもを産むことが、全てなんだろうか。

そんなことを言われた時には、無意識に家族で手を繋ぎ、幸せそうに歩く姿が目に映ってしまうのです。

そしてどこからか、羨ましいと思う感情が芽生えて、いつしか劣等感に変化していく。

自分のやっていることはなんなんだろう。

夢を追いかけることは、本当にいいことなのだろうか。

そうやって、深い森の中に入るように、どんどん思考の森へと迷い込んでしまうのです。

そして心のほんの隙間から生まれた嫉妬の感情を、表に出さないようにグッと押し戻す作業を何度も繰り返していました。

夢と生活と心

ワタシは数年前からうつ病を発症しています。もちろん今も完治したわけではなく、日々の生活の中で向き合い続けている状態です。

この1年間の間、仕事を休職して、そして辞めて、無職になって、夢を追いかけて・・・。

様々な出来事がいっぺんに起こりすぎて、ついていけないことも沢山ありました。

子どもが欲しいと思う気持ちもあるけれど、夢を追いかけたい気持ちもある。そして現実的に、ワタシの今の体調では、体力では、そして精神力では、子育てが出来ないことも知っています。

仕事にすら復帰もできていない今、現実は思った以上に厳しく、夢を追いかける以前に二人で生きていくことに精一杯なんです。

だからこそ、頭の中では(早く仕事に復帰しないと)なんて思ったり、(次も上手くいかなかったら)と自暴自棄になったりもする。

そんなワタシに母親という存在になる日は、まだまだ遠いと思い知らされてしまうのです。

夢を持った時、純粋に頑張ろうと思った気持ちがありました。

その一方で、現実逃避をしようとしている気持ちが生まれなかったわけではありません。

そして今も、その感情と闘いながら生きていると実感しています。

二人の約束

結婚してからワタシも欲深くなったと思います。

一人で生きていた頃は、明日なんてどうでもいい、明日なんて来なくてもいいと思うことも少なくありませんでした。

もちろん、交際自体も上手くいっていなかったから、結婚はおとぎ話と同じくらいフィクションの世界のことだと思っていました。

しかし、結婚してから欲深くなったもので、彼と少しでも長い時間を過ごしていたいと思ってみたり、二人の子どもに出会えたら、どれだけ幸せなんだろうと漠然と考えることだってあります。

買い物に出かけていると、ふと目に映る家族連れに、羨ましいと思ってしまうことだってある。

新しい家族なんて必要ないと思っていたくせに、家族という繋がりが無性に愛おしく、そして時に寂しさを感じさせてくれるのです。

ただ、今はその時期ではないのだと思います。

二人で夢を追いかけると決めたあの日、彼と約束をしたから…。

「楽しいことよりも辛いことも、悩むことも沢山ある。けれども、可能性がほんの少しでもあるのなら、やってみよう。時には諦めなくてはいけないこともあるかもしれない。出来ないことも増えてしまうかもしれない。けれどいつかきっと、思い出話になる日が来るはずだから。面白いと思ったことを信じてやり続ければきっと、人生は面白くなるはずだから」そう言われたあの日、決断をしたのです。

夢のために生きることを

期待されなくて

ワタシもましゅぴも、今までの人生で期待をされたことがありませんでした。

「面白い」と思ったことをやっていても、理解されずに笑われてきたり、関心を抱いてもらえなかったことがほとんどだったんです。

そんな時にようやく、互いに持っているものを認め、支え合える人に出会ったと思っています。

そして数少ない友人や、周りの人たちに「あなたたちのやっていることは、面白い」と言ってもらえることも増えてきました。

今までは、全て一人でやって自問自答をし続けてきたから、正しいことなのかどうなのかの判断さえできなかったんです。

二人ともが自信がなくて、内に秘めた思いを隠しながらも夢を追い続けてきたもの同士でした。

だからこそ、新たに見つけた挑戦に、人生を賭けてみたいと思ったのかもしれません。

ようやくなんです。

自分たちのやっていることを、声に出して「面白い」と認められるようになってきたのは。

私たちは夫婦であり、友であり、そして戦友でもあります。だから夢のことになると熱くなりすぎてぶつかり合うことだってある。

不安になって、諦めてしまいそうになることだってあります。

そんな時は、どちらかが必ず伝えるんです。

「あなたのやっていることは、間違っていないよ。人生を賭けて、何かをやることなんてそうそうないんだから。やると決めたなら、諦めてはいけないよ。やり続けている限り、チャンスは巡ってくる。でもね、やめた途端に全てが終わってしまうから。自分たちだけは信じてやり続けていこうよ」と。

今を生きて

私たちのように夢を持っている人は、この世界中に沢山いると思います。けれども、夢半ばで諦めたり、何かを理由に辞めたりする人も多くいると思うのです。

ワタシの父は言いました。

「やっていなくても、文句を言ったり、語ったりすることもできる。でも、やり続けて見えた景色は、やり続けた人にしか分からないんだよ。写真を見たり、文字を読んで知った知識とは比べ物にならないほどの価値があるんだ。やり続けた人にしか見えない景色をお前は見たいか?見たいなら、やり続けなさい。やってもいないのに、起きてもいないのに、景色のことなんて語っては意味がないんだよ。本当の絶景は、登った人にしか味わうことができないんだから」と。

父は、ワタシが保育士をしていた時、すごく誇りに思ってくれていました。

「納言には、先生という仕事が本当に天職だ」と言い続けてくれました。

その言葉を言われてすごく嬉しかったのを覚えています。

けれどもうつ病になって、仕事を辞めざるを得なくなった時、とても悲しそうな顔をしながら、「心を壊してまでやる必要はないよ。保育士は本当に向いていたと思う。でも、無理に続けなくてもいい」そう言いました。

子どもたちの話を家族にすると、嬉しそうに話を聞いてくれるのは、いつも父でした。

父も教職をしていたから、ワタシが先生と呼ばれる仕事をしていたことに誇りを持っていたのかもしれません。

そして保育の仕事を心の底から大好きだったことも、きっと分かっていたのでしょう。

そして今、新しい夢を目指していることを、密かに応援してくれています。

だからこそ、あの言葉をワタシに投げかけてくれたのかもしれません。

時には不安になり、諦めてしまいそうになることもある。

他人が羨ましくて、自分が惨めに思えて仕方がなくなる時だってある。

けれども、まだ山に登り始めたばかりなのです。

いつか絶景を見れる日が来ることを信じ、これからもやり続けていこうと思います。

そして最後に、もしも夢があるのなら、やりたいことがあるのなら、諦めずにとことんやり続けてください。

追いかけることは、決して楽しいことばかりじゃない。

まさに山登りのように、登っている最中には、本当に多くの困難が立ちはだかってきます。

何度も下山しようと考えてしまうこともあるでしょう。

けれども登った人にしか見られない絶景があるのだとしたら。

もしも、その人にしか分からない価値のあるものと出会うことができるとしたら。

夢を持つことに年齢は関係ないと思います。

そしてもしも、やりたいことを見つけた時、胸を張って「自分のやっていることは面白いんだ」と言い続けてください。

信じる気持ちが夢を叶える一歩だと思うから。

 

 

 

 

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. モト より:

    今となっては人生いくつになってもチャレンジできるって思えるようになったかな笑

    安定も必要だけど、やりたいことできるってそうタイミングよくあるとは思わないから、やれるだけやってダメだっても、やらなかったことの後悔の方が必ずデカいから。

    今を駆け抜けて行こう!!

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      ワタシも怖がりだから、何かにつけて言い訳を見つけて逃げていました。
      でも今になってようやく、冒険することが楽しいと思えているのかもしれません。笑
      まさに「今を駆け抜けていこう!」ですね。
      登り続けた人のにしか見えない景色があるのだとしたら、足が動くまで登り続けてみようと思います。人生一度きりの絶景を目指して。

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