何度も声に出して伝えたかったことがあります。
心の奥底では叫んでいたのに、言葉にしようとするとどうしても勇気が出ずに諦めてしまっていたのです。
「ねえ、ワタシのことも見てよ。ワタシのことも同じように愛してよ。どうして、愛情をもっと向けてくれないの・・・。ずっと、ずっと待っているのに」そう叫んでしまいそうになるたびに、大きく息を吸い込んで、感情を押し殺して、そして何も感じていないフリをしました。
だから大人になったワタシは、自分の感情を表に出すことがほんの少しだけ苦手になっているのかもしれません。
悲しい感情は、笑うことで表に出さないようにしました。
言葉に詰まってどうすれば良いかわからない時は、ただただ相手を見つめることしかできませんでした。
それがワタシなりの、感情の表現の仕方だったのかもしれません。
そして今でも、その癖は抜けずに時折ふとしたところで出てしまうことがあるのです。
羨ましくなんて・・・ない
幼い頃から一番嫌いな感情は、「羨ましがる」ことでした。
わがままを言える人が、羨ましいと思えました。
自分の気持ちを子どもらしく出せる人が、羨ましいと思えました。
悲しい時は素直に悲しい気持ちを涙で表現できる人が、羨ましいと思えました。
ありとあらゆる「羨ましい」の感情は、ワタシの人生の中で、ものすごく邪魔で、心を苦しくさせる以外の何者でもありませんでした。
だからずっと、(ワタシには、羨ましいなんて感情はないんだ。それは、いけないことだから)と思うようにしていたんだと思います。
けれども、その感情に気づかないフリをすればするほど、自分に嘘をついているみたいに何故か胸が苦しくなってしまうことがあったのです。
傷ついた心を隠すように
子どもながらに、あらゆる「羨ましい」を経験しました。
そしてその度に、一つひとつ心に傷をつけながらワタシはワタシを見ようとしなくなったのです。
その代わりに、ワタシはワタシを嫌いになる方法はいくらでも見つけられたのです。
でもどこかで、思っていたのかもしれません。
みんなと同じようにワタシも見てほしいって。
みんなと同じようにワタシの存在にも気づいてほしいって。
歪んだ大人になっていく
子どもながらに何度も、叫びたいと思っていても、見てほしいと願っても、叶うことはありませんでした。
そして徐々に心を閉ざして、関わり方もわからなくなって、自分自身を見失っていきました。そして大人になった時に気づいたんです。
ワタシは一体、誰に何を求めていたんだろうって。
これだけ「愛してほしい」「見てほしい」「気づいてほしい」そう願っていたのは、誰にして欲しかったことなんだろうって。
その答えを知っていても、決して口にすることはできなかったのです。
それは大人になった今でも変わりません。
ワタシはワタシの気持ちを本当に伝えたい人たちに、伝えることができていないのです。
愛情の形を探して
だからワタシは大人になってから、手っ取り早く愛情を注いでくれそうな人たちに逃げるようになりました。
目に見えて愛してくれそうな人たちのところへ行って、その人たちにあらゆるものを補ってもらおうとしたのです。
体も、心も、そして過去も全て・・・。
けれども幼い頃から目を逸らし続けた現実は、大きなスキマとなってワタシの心の中へと刻まれていたのです。
だからどれだけ愛情をほしいと願っていても、彼らでは補うことができませんでした。
それどころか、結局は心と裏腹に相手に気を遣って、心に嘘をついて、見てもらえるように必死になり続けていたんだと思います。
だから今までの恋愛でも、心から愛情を感じられることはなかったのかもしれません。
満たされない「何か」
好きな時には彼らも、ワタシの体に触れて、言葉をかけてくれました。けれども体が重なり合って、体温を感じられるはずの時でも、何故か冷たさを、孤独を感じていました。、
そしてどこかで、「きっとあなたたちも、ワタシのことは見てくれていないよね。目の前にある今だけをきっと見ていて、いつか同じように去っていくんだよね」と思っていたくらいだから。
そしてその予想はいつも当たってしまうことも、恋愛をすればするほど分かったのです。
だからいつしか叫ぶことをやめて、「本当の愛情」を求めることを諦めてしまいました。
もう、過去のワタシが探し求めているものを、大人になったワタシが探すのに疲れてしまったから。
愛情を探して・・・
そして今も、ワタシは欲しかった「何か」を無意識に探してしまう瞬間があります。
今のパートナーでも満たすことのできない、幼い日のワタシが求め続けていた「何か」を。
本当は自分でも答えはわかっているんです。
けれどもその答えを言葉に出して認めてしまったら、きっと壊れてしまいそうだから。
だからいつまでも、探したフリをしてどこか心を守っているのかもしれません。
誰かのついでに見られるのではなく、大切な一人として、ワタシそのものを見てもらえる日まで・・・そっと心の奥底に隠しながら、時折叫んで、また探し求めてしまうのかもしれません。
「ワタシが欲しかったものを、あの時かけて欲しかった言葉を、大人になった今ならかけてくれますか?もしもこの関係が変わってしまったら、またワタシの気持ちから離れて、ワタシは誰かのついでになってしまいますか?もしも、わがままを言って良いのなら、もしも、自分の気持ちを伝えて良いのなら・・・ワタシのことを、ワタシだけのことを見て、そして同じように愛してほしいと言いたいです。それが叶わないのなら、ほんの少しだけでも心の片隅に入れてほしいと思います。ワタシはあなたたちのことを、心から同じだけの愛情を持って愛していることを・・・。その気持ちに嘘偽りはないことだけは、覚えておいてほしいのです」
ナイーブな私に勇気をください
人に読んでもらうまえに、一度自分で読み直してみることをおすすめします!
「ほんとうの」「なにか」などではなく、より具体的に書いてほしいです。
読んでくださり、ありがとうございます!
きっと読まれる方々にも、捉え方や感じ方があると思うので、匿名さんの言葉もまた大切に受け取らさせていただきます。
そして今回のお話は、あえて具体的な言葉ではなく「ほんとうの」や「なにか」といった抽象的な文章で書かせていただきました。そこの部分はまだ、私自身も直接触れることのできない心の影のようなものがあって、ようやく文章として吐き出せるようになり始めたところなので、こちらの表現にしたことをご理解いただけると幸いです。
今回書いたエッセイのようなテーマで、いつの日か具体的に言葉を重ねられるようになれたらと思います。
改めて読んでくださり、ありがとうございました!