ワタシはエッセイで、度々「友だちが少ないです」と話しています。
それはあらゆる経験を経た結果もあるかもしれません。
小学生の頃は、友人と呼べる人は一人もいませんでした。
みんなの輪の中に入りたくても、入ることができませんでした。
勇気を出して「仲間に入れて」と言ったこともありましたが、「あなたと私たちではまるで違う」そんな言葉を投げられたきり、会話を交わすことはありませんでした。
だからほんの少しの期待と希望を抱いて、「大人になったらきっと、本当の友だちに出会えるはず」そう願っていたんです。
時は過ぎて
それから数十年の時が過ぎ、ワタシは大人になりました。周りを見渡せば決して多くはないけれど、本当に信頼できる友人という存在にも出会うことができました。
けれども中には、お互いに信頼をして、時には語り合って、いつまでも続いていくものだと思っていた友情に終止符を打つ出来事もありました。
去り行く人もいれば、いつまでも残り続けてくれる人もいる。そんな人の流れのようなものを感じるようになったのも大人になってからだと思います。
だから過度に期待はせず、そして多くのことも求めずに、「ありのままのワタシでいられる人たちとだけ、仲良くしていこう」そう心に強く誓ったのです。
職場の縁は年齢を超えて
そして今もなお、職場を辞めてから続いている友情が一つありました。
かつて保育園で働いていた頃、二人の先生と仲を深めていきました。
彼女たちとは同じクラスを持つこととなり、一人は保育士一年目として夢や希望、そしてほんの少しの不安を抱きながら就職した子でした。
もう一人は、すでに数年同じ保育園で働いていたのですが、お互いに性格がまるで真逆だと思っていたせいで、仕事以外の会話はほとんど話したことはありませんでした。
そんな3人が一緒のクラスになったものだから、周りの人たちは「あのクラスはきっとうまくいかない」なんて言葉を幾度となく聞かされていたのです。
時には、「子どもたちがかわいそう」だとか「あのクラスは崩壊する」と言われたこともありました。
けれどもその予想は大きく外れ、私たちはこの一年で絆を深めることとなるのです。
自由人たちのクラスでは
ワタシを含めたクラスにいた先生は、全員が自由人でした。けれどもそれぞれの中には一本の強い信念があったと思います。
だからどれだけ自由人だったとしても、クラスの先生たちを蹴落とすような言葉を吐くことはありませんでした。
自分と違う考え方を持っていたら、その意見を尊重し合う姿がありました。それは、ワタシ以外のこの二人が自然と相手の意見に耳を傾けて、前向きな言葉を素直な気持ちのまま伝えられる人たちだったからだと思います。
そんな二人と一緒に仕事をした一年は、保育士として、そして人としも大きく成長させてくれたような気がするのです。
年齢はワタシが一番上ではありましたが、彼女たちの方が大人に思える瞬間が何度もありました。
子どもたちに対しての関わり方にハッと気づかせてもらうこともありました。
年齢や歴にとらわれずに、私たちはいいと思ったことを素直に言えるようになっていったのです。
仕事を辞めてからも
一年間ともに働いてきた私たちでしたが、今では3人ともが保育園を辞めて別の場所で働いています。
かつて「あの3人は相性が悪い」と言われたことがありました。
中にはワタシが二人の後輩を「いじめている」という根も歯もない噂を立てられ、二人に対して「かわいそうだったね。いじめられていたんだって」と言う人もいたそうです。
しかし、その言葉とは裏腹に、仕事を辞めてからは、仕事の同僚としてではなく「友人」として会うようになりました。
過去の話をしながら、時には怒りの感情を露わにしたり、一緒に笑いながら懐かしんだり。あらゆる感情を共有しながら、「あの時は、本当に楽しかった」なんて話をするんです。
周りからどう見られていたかなんて、本当は関係なかったのです。
一緒に仕事をしている間、本当に楽しかった。
それくらい関係を深められたことは、自分たちがよくわかっているのだから。
これからも末長く
友人が少ないワタシではありますが、心から「大切な友だちなんだ」と言える人たちは、大人になってからできました。
これから環境が変わり、なかなか会えないことが増えてくるかもしれません。
だからと言って、縁が切れるわけでも、友情がなくなるわけでもないと思うんです。
本当の友だちは、どれだけ期間が空いたとして、ふとした瞬間に「会いたいな」と思い、そして気軽に「また会おうよ」と言える人たちだと思うから。
そしてそんな人たちがたった数人でもいるワタシは、幸せ者だと改めて思うのです。
友人と呼べる人たちと出会うために、悲しい経験をしてきたのなら、それもまた何かの縁なのかもしれないのだから・・・。
ナイーブな私に勇気をください
自由人な後輩たちを読んで
一通り読んで、クスクスと笑いましたよ。
いや、失礼。思い浮かんだ言葉が、
『縁は異なもの味なもの』
でした。男女の縁はどこでどう結ばれるかわからず、不思議でおもしろいものであると言う例えです。
今回のエッセイは友人関係ですが、何か通じるものがあるなぁーと、微笑ましく笑ってしまいました。
私は残念ながら、すべて断ち切ってしまいました。いまさら理由は割愛しますが、少人数とは言え、うらやましい限りです。
これから先、どのようなご縁があるかもしれないので、その時は大切にしたいと思いました。ありがとうございます。
いつも読んでくださり、ありがとうございます!
本当に「縁」というものは、常々不思議だなと感じることがあります。
そして、こうしてあらゆる人に支えられているワタシですが、少し前までは一気に人がいなくなり、多くの関わりを失ったこともありました。
出ていく人もいれば、新たに出会ってくれる人もいる。そして出ることもなくいつまでも仲良くしてくれる人もいるということを、改めて感じながら今回のエッセイを書かせていただきました。
TKさんのおっしゃる通り、この先どんな「縁」が舞い込んでくるかわかりません。
新しい繋がりを、そして今ある繋がりをこれからも大切にしていきたいと思います。