つい最近、LINEニュースを開いてみると、またもや悲しい言葉が並んでいました。
それが保育士の「不適切保育」についてでした。
あまりにショックで、一度は内容も読まずにそっと携帯を裏返しにしてしまいました。
「どうしてこんなことばかりが、取り沙汰されてしまうんだろう。一生懸命、命を守りながら日々奮闘している保育士さんが大勢いるのに」そう思っていても、今を取り巻く保育の環境の前では、どうしても綺麗事では片付けられない現状がありました。
とても悲しく、どうしようもない環境が、こうして子どもたちにも影響を及ぼしてしまうこと、それが現実に起きていました。
一つのことが派生して
ニュースの中では、「子どもたちがお漏らしをしても、保育士に言えなかった」などの言葉も書かれていました。
その記事を読み、どれだけ子どもたちが怖い想いをしていたんだろう、どんな思いで濡れた下着のまま過ごしていたんだろうと、怒りさえも抱くほどでした。
けれども、ワタシは見てきました。
子どもたちが恐怖のあまり、言葉を飲み込んで、言いたいことが言えないことが日常でもあったことを。
それはワタシが働いていたところでも、少なからず存在していた事実も・・・。
その恐怖は子どもたちだけではなく、大人の保育士でさえも、恐怖のあまり言えない環境があるということも、見てきたんです。
気分で振り回さないで
職場には、自分の機嫌を自分で取れない人がある一定数いました。
朝から機嫌が悪くて物に当たったり、人に当たったりする人がいました。
小さなミスを見つけたときには、これみよがしに全体会議で含みを持たせて公開処刑のように罵る人がいました。
お気に入りには優しくて、そうでない人には意見を聞かずに横暴な態度をとる人がいました。
そんな環境の中で保育士たちは、いつしか少しずつ間違っていることを間違っているとは言えなくなり、見て見ぬ振りをするようになっていきました。
それはある意味で、自分を守るためでもあったのかもしれません。
そしてワタシも、なるべく見えないところで子どもたちを守る方法しか出来なかった一人でもありました。
子どもも大人も揃って怖かったんだと思います。
大きな声で怒鳴る姿、物に当たって苛立ちをあらわにする異様な光景、そして何を言っても無駄だと悟らなければいけない環境。
少しずつ麻痺していく感覚は、「あえてそのことには触れずに、見て見ぬふりをする」ことへと変化していきました。
全てを不適切で片付けないで
今回のニュースのように、子どもたちを傷つけるために、ストレスを発散するかのように言葉がけをしたり、対応することはもちろん間違っています。
ただ時にニュースを見ていると、配慮の一環でやっていることも全て不適切で片付けられてしまっているようなものもありました。
給食を食べる時、一人前が食べられずに他の子よりも少し減らして対応することがあります。
しかし、一番初めから減らすのではなく、その子にも聞きながら量を減らすことや、食べられた時におかわり分として取っておいて、後から食べられるようにしておく場合もあります。
さらに日頃一緒に生活していると、何が苦手で、どの量だったら無理なく楽しく給食の時間を過ごせるかなども、分かるようになっていくのです。
不適切だと言われたところがどこまでの対応をして言われているかは分かりませんが、そうやって子ども一人ひとりに寄り添った配慮や心遣いをしながら、無理なく食べていけるようにしている保育士は大勢いるんです。
それをメディアは少し大袈裟に、全ての保育士たちがそうしているかのように書いていることだけは、どうしても許せないんです。
保育士たちだって、子どもたちと毎日過ごしていく中で、信頼関係を築きながら子どもたちのことを大切に思っている人がほとんどです。
だからこそ、ネガティブなニュースがどんどん一人歩きしてしまい、保育士のイメージが悪くなっていくことが、どうしても悲しくて、心苦しくなってしまいます。
保育の現場を離れても
保育士を辞めても、子どもたちと過ごした毎日はかけがえのない日々は忘れていません。
もちろんワタシも人間だから、上手く立ち回れなかったり、先輩からの理不尽な言葉によって傷ついたまま仕事をしなければいけないこともありました。
けれども、約8年の間に子どもたちのことを「可愛くない」なんて思ったことは一度もありません。
小さな成長が嬉しくて、沢山お話をして、心を通わせられることが本当に楽しかった。
けれども、保育士には見えない現場の苦悩が、現状が、どうしても拭いきれない保育士不足となって押し寄せていることも、現実に存在しています。
決して好きだけではやっていけないことが、今目の前で起きているんです。
ただ何度もエッセイで書いている通り、どうか、全ての保育士がそうだとは思わないでほしい。
どんな環境の中でも、やっぱり子どもたちのことを思いながら、必死に向き合っている人たちがいることだけは、少しでも知ってもらえると嬉しいです。
悲しいニュースの裏では、沢山の努力と時間を使って、日々子どもたちの笑顔のために働いている人たちがいることを、どうか忘れないで欲しいと、心から思うのです。
ナイーブな私に勇気をください