保育士の勇気を・・・

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

最近あるニュースを見ました。

そのニュースは大々的に取り上げられて、連日放送されていたんです。

『保育士が集団退職!原因は会長のパワハラか』という見出しで、ニュースキャスターたちがこぞって問題について話をしていました。

以前保育士をしていたワタシは、そのニュースにあまり驚きはしませんでした。

そしてネットに載っているコメント欄を少しだけ見ると、同じような保育士たちがワタシと似た意見を持っていました。

「これはどこの園でもありうること」「むしろ今でも同じような環境にいる」「保育士さんたちが勇気を出して辞められることが、どれほどすごいことか」そのような言葉が並んでいました。

ワタシもその文章を読みながら、ぼそっと言葉に出てしまったんです。

「こんなの氷山の一角だよ・・・。そしてほとんどの保育士は、誰にも助けを求められずにひっそり辞めていくしかないんだ」と。

かつてのワタシもそうだったから。

いつから主従関係に?

ワタシは数々のエッセイでも書いていますが、働いていた頃からふとした瞬間に思うことがあるんです。

「いつから保育の現場は主従関係が当たり前に存在していて、仕事以外の身の回りの世話までしなければいけないようになっているのか」ということを。

ワタシが働いていたところもそうでした。

縦社会だなんて可愛いものではなく、召使のようにこき使われることもあれば、感情のままに叱責されたり、理不尽な要求をされることもありました。

園の環境整備や子どもたちのことなら、雑用は仕事の一環だと思います。

けれども園長の私物である荷物を運ぶことや、園長の庭の手入れは保育士がする仕事なんだろうか。

園長が持って帰りたいものが大きいものだったら、保育士はもちろん保育を離れて手伝いに行かなければなりませんでした。

誰もがきっと疑問に感じていたのではないかと思います。

「それは本当に、私たちの仕事ですか?子どもから離れて、やる必要のあることですか?」と。

無責任と言わないで

このニュースを見ていてもう一つ、思ったことがありました。

「集団で退職したら、残っている子どもが可哀想だと思わないの?保護者の仕事はどうなるの?」そんな言葉を目にしたんです。

ならば言わせてほしい。

「保育士の心はどうなるの?」と。

そしてこのニュースでは、3月一杯でほとんどの保育士が辞めることが決まっていたそうです。なぜこの時期なのか・・・。

3月は卒園式が控えています。

もしも中途半端な時期に集団で辞めてしまったら、卒園する子どもたちは全く違うところで、慣れない環境の中で、思い出がない場所で卒園式を迎えなければなりません。

それを防ぐために、せめて卒園する子どもたちのために、3月までは残るという決断をしたのではないかと思うんです。

賛否両論あるけれど

確かに、事前に集団退職について周知した上で3月まで残る、という選択肢を取ることもできたかもしれません。

けれども、園の内側で起こっていることは当事者にしかわからないんです。

もしかしたらなんとか続けられる方法を探し続けていたかもしれません。

子どもたちにとっても、保護者の方にとっても最善の方法を探し続けていたかもしれません。

けれどもその気持ちすら、きっと踏みにじられてしまったのでしょう。

ワタシはこのニュースを見て、たった一人ではなく、多くの保育士が勇気を出して辞める選択をしたことに意味があると思うんです。

同じ境遇に立たされている保育士は、多くの勇気をもらったことでしょう。やりがい搾取の中で働く選択肢だけではなく、一人の人間として、辞める決断をすることを肯定してもらったと感じる人もきっといると思うんです。

責める相手は、保育士じゃない。

保育士の心を傷つけて、結果的に子どもたちを、保護者の方を、巻き込む原因を作ったのは園のトップなのだから。

最後に

どんな仕事にも責任があって、多少なりともうまく行かないことや不満が溜まることは誰だってあるでしょう。

だからと言って、その矛先を関係のない人たちにぶつけることは絶対にしてはいけないと思うんです。

今の時代は色々なことが重なりすぎていて、負担も不安も多くのしかかりながらそれぞれが仕事と向き合っているかもしれません。

ただあくまで仕事は仕事です。

仕事が好きで、仕事のために生きている人はそう多くはありません。一番は自分の生活を豊かにするために、自分の人生を充実させるために仕事をしてお金を得ていると思うんです。

それなのにいつしか仕事が生きる目的になって、心を壊してまでしなければいけないことのようになっている環境が存在しています。

だからこそ、このニュースには賛否両論がありましたが、保育士さんたちの選択は何一つ間違っていないと思うんです。

他人のために人生を生きているのではなく、自分の人生のために生きているのだから。

保育士は子どもたちの人生を全て背負うことはできません。

それでも必死に子どもたちのことを思い、そして寄り添っています。

どうか忘れないでほしんです。

保育士は、なんでもやってくれる便利屋でもなければ、何を言われても平気なロボットでもありません。

保育士である前に、同じ人であるということを忘れないでほしいのです・・・。

そして今もなおやりがい搾取の中で働いているのなら、どうか自分の人生のために辞める勇気を持ってほしいと思います。

あなたの価値を、あなたの才能をきちんと評価してくれる場所は、絶対にあるはずだから。

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    保育士の勇気を···を読んで

     私は、納言さんのブログで知りました。保育士さんの詳しい経緯などはわかりませんが、雇用側との話し合いが着かず、断腸の思いで退職を決断されたのでしょう。
     たまたま私はドイツ在住の方とDMする機会がありました。その会話の中で『明日はストやから買い物もいけないわ』と話されてました。
     そう言えば、私の若い時労働組合に加入していたことを思いだしました。雇用側と労働条件改善や賃金引き上げなどの話し合いが行われ、決着が着かなければストライキを決行!何かストと聞くとワクワクしたものです。
     今の日本の社会では、どのように労働条件改善をしたり、賃上げを話し合ったりするのでしょうか。
     世界水準からしたら賃上げなど低水準だとか、詳しくわかりませんが。
     今回の保育士さんの勇気が社会に一石を投じることになれば幸いです。保育士さんのみならず、この国全体の問題と思えたエッセイでした。
     ありがとうございます。

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      保育士の中でも「ストライキを起こそうか。何かデモのような形で今の労働条件に異論を唱えようか」という動きが、ワタシが子どもだった頃にもあったようです。
      ただ、結局は子どものことを考え、保護者のことを思い、結局はストライキを起こすことはやめたそうです。
      どの時代も労働環境に、そして軽んじられていることに不安も不満も抱えながら働いていることを、改めて考えるきっかけにもなりました。
      ただ、今回のように保育士たちが自分の意思で行動したことは、今まさに必死で命を守ろうとしている人たちの勇気になったのではないでしょうか。
      どんな職業の方も、決して軽んじられてはいけません。
      そして、どんな立場であっても声なき声が届くような環境になることが一番だと思います。

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