アトピー星人と呼ばれ

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

これは私がまだ小学生だった頃の話です。

世界中で差別という言葉があります。よく映画とかでは、人種差別だったり、LGBTQのことだったりを描かれているものが多く存在します。

今も私たちが知らないところで、差別や性に悩んでいる人は大勢います。そして私自身も、かつて同じ悩みを持った一人だったのです。

アトピー性皮膚炎という、肌の疾患によって。

幼い頃から私は肌がとても弱く、夏と冬になると特に症状はひどく現れていました。夏場になると、汗で体中に湿疹が出来てしまいます。お風呂も熱いお湯や、湯船に十分以上入っていると赤い発疹が出てきてしまい、全身が痒くなってしまうのです。

冬は乾燥肌になり、そこからひび割れをしたり、乾燥で痒くなって掻きむしってしまうことがよくありました。

幼い頃から皮膚科で処方された薬を塗っていたので、掻いたところが色素沈着で黒ずんで、肌が所々黒くなっていました。

幼少期の頃は、特に気にすることもありませんでしたが、小学生になって考え方は180度も変化してしまったのです。

私の肌は、汚いの?

小学生に入学して初めての夏、お気に入りのワンピースを着て学校にいきました。着ているだけで嬉しい気持ちになり、ウキウキで登校したのを覚えています。学校に着き、準備をしていると一人の男子が近づいてこう言いました。

「お前の体、なんで黒いブツブツがあるんだよ。きったねぇ!」

「これは、アトピーって言うんだよ・・・」

「アトピー!?なんだそれ。お前病気なのか?俺に触るなよ。アトピーが移るから。お〜い!こいつアトピーなんだって!これからお前はアトピー星人だ!触ると移るぞ」とクラスの子たちの注目浴びるように、大きな声で言われてしまいました。

クラスの子たちも珍しさで集まってきて、一人の男子を中心に笑いが起きていました。誰かが合図をしたかのように「アトピー星人」という名前が、手拍子と共に何度も何度も言われ続けました。

囲まれるようにいた私は、両方の腕をギュッと握り、体を隠すようにその場で立ち尽くしていました。今自分が着ている服が猛烈に恥ずかしくなり、その場から逃げたくても逃げられない状況に、涙を堪えることが精一杯の抵抗だったと思います。

バイ菌扱いされる日々

あの時から、私の名前はアトピー星人に変わりました。

教室に入れば「アトピー星人がきたぞ」と言われました。誰かのものを拾って渡そうとすれば「汚い手で触るなよ!移るだろ」言われ、水で洗われたこともありました。

私が落としたものは拾ってもらえることはなく、意図的に遠くに蹴られることもありました。当時は、クラスにいる全ての人間が怖くて仕方がありませんでした。

そしてさらには、担任でさえもボソッと「汚い手で触らないで」と言うこともありました。

このクラスに私の味方は、一人もいませんでした。

差別を受けて

小学一年生から始まった肌へのいじめは、その後もずっと続きました。夏になれば半袖を着なければならない、誰に聞いたかクラスが変わっても「アトピー星人」という名前が消えることはありませんでした。

プリントを配られたり、何かを渡される時にはなるべく手が触れないように細心の注意を払っていました。手があたれば「触るなよ!」と怒られることは、分かっていたから。

最初はそんな程度で済んでいたものも学年が上がるにつれて、やり方も変化していきました。

嫌いな人がいれば私を呼んで「これ渡してきて」とパシリのようなことをされていました。渡された人は嫌な顔をして無言で受け取る。その姿を頼んできた同級生たちは、嬉しそうに見ていました。

完全にバイ菌として扱われていた私に、触れてこようとする人は誰もいませんでした。

それでも両親には、差別を受けていること、いじめに遭っていることは言いませんでした。悲しむ顔を見たくなかったし、何より、恥ずかしさと申し訳なさで言えない気持ちもありました。

「学校どうだった?」と言われるたびに、同級生の名前をあげて、架空の話をしていました。楽しかった話、嬉しかった話、どんなことで遊んだかなどを話していたような気がします。

それでも学校にどうしても行きたくない日もありました。「休みたい」という私に、両親は一度も学校に行きなさい」と、無理強いしたことはありません。

もしかすると、気づいていたのかもしれません。

娘の変化に気づいていたかもしれない、心に傷を負っていることも知っていたかももしれない、けれども何も言わず「何かあったら教えてね」とだけ言われていたことは、当時を振り返っても本当にありがたかったです。

家族の支え

アトピーがひどかった私に、両親は色々な方法を試してくれました。どこかの天然水が良いと聞けば取り寄せをしてくれました。2リットルの水を毎日飲むことはすごく負担でしたが、両親も一緒になって水を飲んでくれていました。

にがりのお風呂が良いと聞けば、にがりを買ってきてにがり風呂に入っていた時期もありました。

良い皮膚科があると聞けば、どんなに遠い距離でも通い続けてくれました。

それでも大人になるまでアトピーが完治することは、ありませんでした。

大人になった私が思うこと

しかし、25歳を過ぎたあたりから少しずつ肌はキレイになっていきました。

夏場でも半袖を着ることすらしなかったけれど、少しずつ半袖を着ても恥ずかしいと思わなくなりました。

今では、パッと見ただけではアトピーかどうかが分からないほどキレイになっています。

しかし夏場になれば汗ですぐに肌は荒れてしまうし、お風呂も長風呂はできません。体調によっては紫外線で発疹が出てしまうこともあります。化粧品も合わないものが多く、合わないものを使うと蕁麻疹のようなものが出てしまうこともあります。

完治したわけではないけれど、それでも昔よりもずいぶんマシになりました。

今回このエッセイを書こうと思ったのは、差別は身近にあることを知って欲しかったからです。国や人種、肌の色や性の不一致だけでなく、私のようにアトピーでも差別をされることがありました。

ここに書くことができなかった過去もあります、しかし、知って欲しいのは、差別は身近にあること、そして軽はずみに言った言葉が、当事者にとってどれだけの傷を負わせているかを知って欲しいのです。

国が違う、肌の色が違う、見た目が違う、性の認識が違う、病気を抱えている人でも同じ人間であり、心を持っています。幼かった私は、勇気を出して「やめてよ!」と言うことは出来ず、言われるがままひたすら耐えることしかできませんでした。

もしも勇気があるのなら、一度でいいから強く言い返してみたかったです。けれども、集団の中でたった一人が声を上げることなんて、出来るはずもありませんでした。

そして今では堂々と胸を張って言えるけれど、アトピー以外にも心と体の不一致も抱えながら生きていました。

男みたいな女、変なやつと言われ、街を歩けば指をさされることもありました。多様性という言葉がようやく浸透してきたからこそ、今では好きな服装をして、堂々と夫と手を繋ぎ歩くことができています。

けれども「あの二人ゲイ?」と見知らぬ人に、言われたり笑われたりすることが今でもあります。

けれどもこれだけは伝えさせてください。

知っている世界だけが全てじゃないんです。

関わっている人たちだけが全てじゃないんです。

人の数だけ悩みがあり、考え方や価値観がある。それを他人が口を出し、笑うことは絶対にあってはならないことだと思っています。

理解して欲しいなんて思っていません。

ただ、そっとしてほしいのです。

迷惑をかけているわけでも、危害を加えているわけでもなく、ただ自分の人生を歩んでいる人たちのことを。

今までの人生を振り返り、ほとんどが悲しい思いばかりでした。ずっと理解して欲しいと、もがき続けていました。

けれどもそれも、私のエゴなのかもしれません。全ての人間を理解することなんて誰にもできないのだから、せめて、自分に関わりのある人、そして同じ気持ちを味わい苦しみを知っている人たちのことを、理解できるようになりたいと思うのです。

その一つが、自分自身の過去と向き合い、文章で残すことなのかもしれません。

かつてアトピー星人と呼ばれた人間でも、誰かに想いを伝えられることを証明するためにも、私はこれからも全てをさらけ出し、言葉を紡いでいこうと思います。

 

最後に

ぜひコメント欄に、読んだ感想をいただけると大変励みになります。皆さんのメッセージをお待ちしています!また、相談や困りごと、どんな些細なことでも構いません。ブログのトップに「あなたの悩み・相談」もありますので、皆さんの声をぜひお聞かせください😌🧡

ナイーブな私に勇気をください

  1. モト より:

    自分はそうじゃないってことだけでマウントを取るのは子供であれ大人であれ、年齢問わずありますね。自分が常識と勘違いなさって生きてきたんだ、来世はハエ決定ね!と思って流していますが笑
    科学が進歩しているのに、教育ももっと進んでもいいんじゃないでしょうか?
    外部の人間をもっと呼んで授業を即興でやるとか、楽しく学ぶ思いやりを教える授業があって人間力をつけていくことができればいいなぁと思います。
    資格がないとできないことが多く、そういった現場にこそ相応しい人っていると思うんですよね。
    いじめられた子や人を救済するのは当たり前なんですが、いじめた方のカウンセリングが大事やと考えます。

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      モトさん、いつも読んでくださりありがとうございます。
      「来世はハエ決定ね!」という言葉に笑ってしまいました。そしてなんだか心が軽くなったような気がします。
      どんな形であれ、いじめをすることは絶対あってはなりません。しかし、もしかしたらいじめた側にも家庭環境が複雑だったり、孤独を抱えている子も中にはいるのかもしれません。
      子どもの時から関わる人って本当に大切で、どんな人に言葉をかけてもらっているのか。愛情を真っ直ぐ受けてもらっているのか、そして正しいことと間違ったことをきちんと教えてもらえているのか、その積み重ねが人格に表れていくような気がします。
      「相手の気持ちに立って考える」ことの大切さを、大人になった今ものすごく考えるようになりました。
      その一つとして、いじめた側の気持ち(カウンセリング)も必要なんだなと、感じました。
      いじめ問題は本当に小さなところから広がり、目には見えないところで行われることがほとんどだと思います。全てを根絶することは難しいけれど、互いに思いやりを持ち、寄り添う世の中になれば嬉しいなと思います。
      とても素敵な感想を、ありがとうございました。

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