独りと1人

オリエンタル納言日常日記

ワタシは人生で、嫌というほど独りを味わってきました。

そして子どもながらに、「いつか信頼できる誰かと、お互いに尊重し合える関係になれたらいいな」と思い続けてきました。

同級生たちが楽しそうに友だちと話し、出かける姿を羨ましいと思ったことが何度もありました。

けれども、その間に「ワタシも入れて」と言うことはできませんでした。

言葉で伝えようとすると途端に足はすくみ、そしてブルブルと震えてしまうような感覚に襲われることもありました。

ずっと羨ましがっていただけで、行動に起こすほどの勇気は持っていなかったのです。

独りを楽しもうと

だからいつも自分にこう言い聞かせていたんです。

「大丈夫。独りも楽しいよ。自分のペースで好きなことができるんだから。嫌なことを言われることもなければ、誰かに合わせる必要もない。常に自分のことだけ考えていればいいんだよ」と。

この言葉がけがどれほど寂しくて悲しいものか、本当はわかっていたんです。

嬉しい話も悲しい話も、興奮して今すぐにでも伝えたい話でも、心の中に留めておくことは、とても辛いものだったから。

けれども、そんな生活が続きすぎて、少しずつ独りでいることに慣れていきました。

いや、慣れざるを得なかったのかもしれません。

人間関係は、時に心を狂わせて

社会人になってからは独りぼっちの辛さよりも、群れからはぐれないように生きることの方が辛くなっていきました。

誰かの言葉に頷いて、時にはYESマンになって、そして相手の機嫌次第で途端に群れから追い出されてしまうことを学びました。

あれだけ独りぼっちが辛かったのに、いつしか「一人になりたい・・・。もう構わないで」と思うようになっていきました。

慣れない群れでの生活が、いつしか自分の心を歪ませていったのです。

腹を割って話をしたら、いつどうなるかわからない。

自分の気持ちを話したら、きっと群れなから追い出されています。

そんなことを思うと怖くて何も言えずに、ただただ従うことしかできなくなっていきました。

子どもの頃は独りぼっちが嫌で仕方がなかったのに、今度は一人になりたいと願うようになったのです。

誰も関心を寄せなくていい。ワタシに構わなくていい。ただ仕事を一緒にこなすだけの関係のまま過ごすことができたら、どれだけ楽だろう・・・。

一度群れから離れることで

いつしか限界が来てしまったワタシは、自分の気持ちを伝える間も無く、体も限界に達して群れから離れることになりました。

社会のしがらみも、職場の派閥もない、一人だけの世界に戻ることになったのです。

しかし仕事を辞めてからというもの、今まで背負い続けていた重たい荷物のようなものがなくなっていく感覚に襲われることもありました。

かつて独りぼっちだったワタシは、仕事を辞めてからあらゆる人の支えの中で生きるようになりました。

彼に助けられることもあれば、友人に支えてもらうこともありました。

今まで言えなかったことを、心の中に隠し持っていた感情を文章で吐き出せば、誰かが答えてくれました。

「あなたの想いは、ちゃんと届いてるよ。大丈夫。あなたは決して独りではないから」と。

気がつけば、ワタシは独りから抜け出していたんです。

独りを経験し、今がある

仕事を辞めてから、何度か訪れる一人の時間に不安がなかったわけではありません。

もちろん心が荒んでいた時には、過去に味わった孤独が押し寄せて体ごとさらっていくような感覚がしたこともありました。

何度も「助けてください。助けてください」と信じてもない神様に、懇願したことさえありました。

そんな時に助けてくれたのは、懇願し続けていた神様でもなく、過去の自分でもなく、今目の前で声をかけ続けてくれた人たちだったのです。

この時ようやく気づいたのかもしれません。

「ずっと独りぼっちだと思っていたワタシは、もう独りじゃないんだ。支えてくれる人が、こんなにたくさんいるんだ」ということに。

あの時の自分を受け止めて

少しずつ体が回復し、ワタシなりの一人の時間を楽しめるようになった今だから思うことがあります。

過去に味わった独りぼっちは、何一つ無駄じゃなかったと。

そして、あの経験があったからこそ、今目の前にいてくれる人たちのありがたさが身にしみてわかるんだとも。

独りぼっちは辛かった。

けれども、自分の心を無視してまで群れることはもっと辛かった。

だからもう一度一人になった時に、本当に大切なことが何なのかということに気づくことができたのでしょう。

独りではなく、一人の時間を大切にできるようになれたのは、周りにいる人たちの、そして声をかけてくれた人たちの支えがあってこそなのだから・・・。

 

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    独りと1人を読んで

    独りではない1人の時間···

     むむむ、名言ですね。
     とんでもなくポジティブ。笑
     私はダメだ。
     なんでしょう、大切なものを失うことを恐れ独りから脱け出せないなぁ。大切なものができると失ってしまうことが頭を過り、失うぐらいなら独りがいいや、そんなネガティブな考えが私を支配しているような。笑
     独りは、底の見えない暗闇の井戸を覗くような、恐怖に近い孤独感に襲われることしばしば。泣
     私の闇の部分が顔を除かせてしまいました。闇の部分も感想として書けるようになったのも、納言さんのブログあってこそ。笑
     独りと1人とても感銘を受けました。ありがとうございます。

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      文章を書きながら、「このエッセイを読んで共感してくれる人は、きっと少なからず『独り』の孤独と向き合った人なんだろうな」そんな気持ちで書かせていただきました。
      一人の時間は楽しくても、独りになると途端に負の感情に飲み込まれてしまう時があります。
      でも、その感情を味わった人だけが感じられるものがあるんです。
      それが「誰かの気持ちに寄り添って、想像する力」だと思うんです。過去の辛い出来事の最中は、全てが真っ暗な闇の中に包まれていくほど恐ろしく、不安でたまりませんでした。
      けれども、少しずつ陽の光が差し込み始めた頃に気づいたんですよね。「あぁ、きっとこの感情は無駄じゃなかったんだ」ってことに。
      TKさんも同じょうに孤独を味わってきたのなら、きっと相手の立場に立って、想像力を働かせ、そして寄り添うことができる優しい方だと思うんです。
      だって、ワタシ自身がこうして感想で寄り添ってもらっているから。

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