人混みの渦へ

オリエンタル納言日常日記

ふと周りを見渡すと、そこにいるほとんどの人は知らない人でした。

名前も知らなければ、会ったこともない。

そしてその人がどんな人生を送り、何で悩んでいて、どんな幸福を手にしてきたかもわかりません。

辺りにはキッチンカーだったり、露店だったりが並んでいて、ここにいるほとんどが春の訪れを今か今かと待ち侘びていた人ばかりだったと思います。

「桜祭り」その場所にワタシもいました。

けれども、桜祭りを楽しもうとする気持ちよりも、人混みの渦に巻き込まれてしまいそうになる恐怖と向き合おうとしているところが、きっと彼らとワタシの一番の違いだったと思います。

好きなのに、嫌いな街

ワタシが育ったこの場所は、あまりにも思い出がありすぎています。

この街は好きだけれど、時に猛烈に嫌いになることがあるんです。

ふと人混みに紛れた時に、突然襲いかかる悲しい過去たちは、ワタシの心を掴んで離そうとしてくれません。

体が変にこわばって、顔から笑顔が消える。

幸せそうに見える人たちを羨む気持ちが消えなくて、自分に無いものを持っているような雰囲気の人を時には妬ましく思ってしまう。

突然同級生に会ったらと思うと、どんな顔をしていいかもわからなくなる。

だから途端に怖くなって、人混みから離れた場所に逃げてしまいたくなるのです。

過去を引きずって

きっといつまでも過去を引きずっているから、人混みの中に入ると不安になるのかもしれません。

向けられた声は、決していいものではなかった。

聞こえてくる笑い声は、ワタシを嘲笑っているようだった。

そんな過去が、今でも抜けずに心の中に留まり続けているのかもしれません。

他の街に行けば、こんな気持ちになることはあまり無いんです。

どうしてだか自分の生まれ育ったこの場所だけが、妙に心をざわつかせてくるんです。

楽しいはずの桜祭りは、恐怖と、不安と、悲しみの人混みの場所へと姿を変えてしまいました。

陰と陽が極端に分かれる街、それが生まれ育った故郷だから。

塗り替えることのできないあの頃を

そんな姿を見ていた彼は、とても不思議そうにワタシの顔を覗き、こう尋ねました。

「どうしたの?何か不安に思うことがあるの?人混み嫌だった?」と。

けれども、その時のワタシには答えることができなかったんです。

本当の理由が、明確ではなかったから。

楽しいはずの場所が、途端に不安の場所に姿を変えてしまった今、どうしてそんな気持ちになったのかまでは、ワタシ自身ですら上手く言葉にすることはできませんでした。

「ごめん・・・。自分でもわからない」そう言うしかなかったんです。

結局この日は何も買うことなく、桜祭りの景色に心を踊らせることもせず、少しだけ下を向きながら歩いて帰ることしかできませんでした。

いつまでも続く足踏みは

昔誰かがこんなことを言っていたような気がします。

「過去はもう、過去の話なんだよ。周りの人は過去のことなんて気にせずに生きているんだから、大人になったあなたがいつまでも引きずる必要なんてないんだよ」と。

その言葉は、きっとワタシが欲しがっていた言葉とは少し違っていたような気がします。

今でも過去のことがふと走馬灯のように駆け巡り、当時の年齢に戻ったみたいに不安と恐怖に押しつぶされそうになる時があるのだから。

もしもあの時、違う言葉で声をかけてくれていたら、きっと気持ちは多少なりとも変わっていたかもしれません。

きっとワタシは、未だに同じところで足踏みをし続けているのだから。

決して忘れない記憶を

生まれてから一度も、この街から離れたことはありません。

だから良いことも悪いことも、同じように心に残り続けています。けれども、悪いことにかぎって、なかなか記憶から消えてくれないんです。

人混みに入った途端に、見ず知らずの人が誰かの姿と重なる瞬間がある。

危害を加えられたわけでもなく、ましてや言葉を交わしてもない人でさえドキッとしてしまうことがある。

そんな街で、ワタシは生きてきたんだと思います。

「世界はもっと広くて、あなたが思っているよりもずっと素晴らしいところだよ」そう教えてくれた人がいました。

その意味を、この街ではまだ味わったことがないのかもしれません。

外の世界を見ようとしているのに、どうしても小さな場所で巻き起こっていることに固執してしまうから。

人混みに紛れても

いつか変わるでしょうか。

人混みに紛れても、過去の鎧を脱ぎ捨てて堂々と歩けるワタシに。

いつか変わるでしょうか。

過去にしがみつくことをやめて、今ある景色を楽しめるワタシに。

まだ少しだけ怖いと思う気持ちが多いこの街を、心から好きになることができません。

ただ、きっといつか変わる日がくるとしたら、過去の思い出も、そして今ある記憶も、全てを愛せるようになりたいと思います。

人混みの中に入ったとしても、見知らぬ彼らと同じように心から楽しめるようになりたいから。

季節の移り変わりが遅かったせいか、この日は桜は全く咲いていませんでした。

しかし、葉桜の中にポツンと一つ蕾が芽生え始めていました。

まるで過去の鎧を脱ぎ捨て、新たな姿に変わることを教えてくれているみたいに。

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    人混みの渦へを読んで

     納言さんは、生まれ育った土地の人混みに辛い悲しい過去があると言うのでしょうか、それとも人混みじたい苦手なのでしょうか、また他の土地の人混みはどうなのでしょうかと、グルグル思いを巡らしてしまいました。しかし文面からしたら、最初の生まれ育った土地のみですね。
     私は停滞している人混みでも、スムーズに流れている人混みでも安心します。なんでしょう『群衆の中の孤独感』ですか、とても落ち着き安心感すら生まれるしだいです。
     私には、納言さんのような思いがする場所があります。今住んでいる家がそうです。
     この家は社会人になるまで住んでいた実家であり、両親が他界した後に私が住んでいます。
     一日、家に居ることはありません。何か居たくありませんし、心がざわついたり不安になったりします。休日は一通り家事を済ませば、どこかしらに出かけ平日と同じ時間に帰ってきます。変ですよね。笑
     外出先は、お金を使わない公園とか、古着屋巡りとか、大手書店など楽しみ方は色々熟知していてなれたものです。笑
     また、読書が好きですが、家では読まず通勤電車で読んだりしています。休日に読むことはありません。ところが、どうしたのでしょうか、納言さんと繋がってからブログを読んだり、感想コメントをどのように表現しようかと考えたり一日家に居る日があります。
     私にとっては青天の霹靂です。笑
     この現状を言葉にするならば
    『昨日まで悩んでいたことが、何を悩んでいたか···今日は忘れている』
    でしょうか。
     過去の鎧を脱ぎ捨てるように···
     ありかとうございます。
     

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      そうですね、ワタシの住んでいた街には悲しい過去が多かったのかもしれません。ただ、文章を書くようになってから、少しずつ当時のワタシはどういう気持ちで、何を願っていたのかがわかるようになってきました。人混みを見つめながら、ただ「嫌だなぁ。帰りたいなぁ」と思うのではなく、どうしてそんな気持ちになっているのかを深く掘り下げようとするようになりました。すると少しずつ見え方は変わり、また新たな感情を発見することがあります。そんなときは、「ワタシも大人になったんだぁ。いつまでも過去に縛られてはいけない」なんて思えるようにもなってきました。
      ある一定の場所での記憶、特に悲しい記憶は忘れたくても忘れることが中々難しいと思います。
      けれども文章にして、また別の誰かからの言葉をいただくことによって、感情に変化が見えてくるようになりました!

      TKさんにたくさんの励ましと勇気をもらっていますが、ワタシが書いた文章がTKさんの感情に少しでも色をつけることができていること、本当に嬉しく思います。
      過去の鎧を脱ぎ捨てて、本当の自分の全てを愛せるように、これからも文章を通しながら向き合っていきたいと思います。
      いつも、素敵な感想をありがとうございます!

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