もう随分と前から習慣になってしまったせいで、中々直すことが出来ない癖のようなものがあります。
それはとても些細なことから始まりました。
私が中学二年生の頃、絶賛思春期に入り、同級生も少しだけ大人びた姿になることを意識していた時代でした。男子は女子を意識していたし、女子は男子を意識していました。
数少ないカップルが誕生して、登下校を共にする姿を羨ましそうに見ていたり、廊下でカースト上位の男女が話していたりする姿を、私は遠くで見ていました。
まるでそこに存在していないかのように、空気のように振る舞うことを意識していたので、羨ましいと思いつつも自分とは別世界の人間だと思うようにしていました。
声をかけられたあの日
そんな生活が数ヶ月過ぎたある日、私には忘れられない悲しい出来事が起きてしまうのです。
ある日の席替えで、私は窓側の席になりました。
隣には話したこともない男子がいて、「きっと席が変わるまで、話すことはないんだろうな」と思っていたから、特に挨拶を交わすこともしませんでした。正確に言うと、話しかけ方が分からなかったので、極力話さないようにしていたのかもしれません。
いつものように授業が始まり、教科書とノートを交互に見比べながら、先生の話を聞いていました。
授業が終わり、突然隣の席の男子から声をかけられました。
「お前ってさ、鼻息荒いよね」と、周りにいた男子と笑いながら指摘されました。
私は恥ずかしさのあまり、言葉を返すことも出来ずにただ「ごめん」とだけ言いました。今まで全く気にしなかったことを言われた驚きと恥ずかしさで、顔はみるみる熱くなり、今にも泣きそうになったことを覚えています。
そして恥ずかしさと悲しさのあまり、その後の授業内容は、全く頭に入ってきませんでした。
呼吸のやり方を研究する日々
その日から、家に帰ってどうしたら鼻息が聞こえなくなるのかを、一生懸命研究しました。
ほんの少しだけ息を吸って、口でそーっと吐いていく。
両親に「私の鼻息ってうるさい?」と確かめても「別に」と言われるだけ。けれども、隣の席の彼は、私の鼻息について指摘をしてきたわけだから、改善しなければならない。
色々考え、試行錯誤を重ねた結果、やっぱり浅く鼻で息を吸い込み、口でゆっくり吐いていく呼吸法を採用しました。
次の日学校に行き、早速試してみると、鼻息は全くと言っていいほど聞こえないようになりました。
なるべく音を消して、なるべく迷惑にならないように・・・。
そして、隣の席の彼から指摘されることもパタリとなくなったのです。
迷惑をかけない呼吸法
それから高校、短大、社会人になるまで、意識的に鼻息を気にするようになった私は、深く呼吸をすることが極端に苦手になってしまいました。
長年やり続けた迷惑をかけない呼吸法は、じわりじわりと体に影響を及ぼし始めていたのです。
社会人になってから目まぐるしく1日が過ぎていき、不意に呼吸が止まっている瞬間がありました。浅く息を吸い込み、ゆっくり吐き出す方法は、日常生活に支障をきたし始めたのです。
どうやって息をするのか、どうやって深く吸い込めばいいのかが分からなくなっていました。長年の癖のようなものは、私に頭痛という最悪な贈り物を授け、とうとう自分ではどうやって修正したらいいかも分からないレベルになっていました。
忙しさで心のバランスを崩し、心療内科に受診しにいくと「ちゃんと息をしてる?鼻から思い切り吸い込まないと、頭痛やめまいに繋がるからね!呼吸はしっかりね」と言われてしまいました。
その日から、今までやり続けた癖を治す作業が始まりましたが、どうしたって上手くいかなかったのです。
毎日大きく息を吸い込む練習をしても、深く息を吐いても、酸素が足りずに苦しさが増すばかりでした。
私は、呼吸すらまともに出来なくなってしまったのです。
たった一言が大きな代償に
あれから心療内科に通い続け、様々な呼吸法を教わりました。
少しずつ出来るようになった呼吸も、まだまだ気を抜いてしまうと浅く、時に息苦しく感じることがありました。
たった一言でした。
あの一言が、いつまでも頭の中に残り続けていました。とても些細なことだけれど、思春期の頃に味わった羞恥心は、大人になった今でも残り続けてしまうのです。
あの時の言葉が、笑われた風景が走馬灯のように駆け巡る瞬間がありました。今だったら、「そんなこと、どうでもいいじゃないか」と思えるけれど、当時の私は、全てにおいて臆病で、卑屈で、自信がまるでなかったのです。
どれだけ些細なことでも、言われた方は覚えています。
けれども、言った本人も笑っていた周りも、あの日の出来事なんて忘れているでしょう。それが何より、悲しくて悔しいのかもしれません。
言葉は目には見えないけれど、とても大きな力を持っています。
たとえその一言が冗談だったとしても、一人の人生を変えてしまうことだってある。
今こうして言葉を使って想いを伝えるようになったからこそ、言葉の力というものを改めて感じているのかもしれません。
ナイーブな私に勇気をください