感情は、いつも半分ずつ

オリエンタル納言日常日記

ワタシはとても弱い人間です。

心の中には、半分ずつの気持ちが常に出たり入ったりを繰り返しています。

温かい気持ちの時には、困ってる人や身近な人たちに優しい人間でありたいと思い、見返りなんて求めずに、自分の意思でそうしたいと思っています。

もう半分は、些細なことでもイライラしたり、見返りを求めたり、時には卑屈になって嫌な部分を探してしまう気持ちです。

その2つが入り混じっているからこそ、時には悩んで、自分の心の弱さに嘆くこともあります。

「優しくなりたい」と簡単に言っても、とても難しくてできないことの方が多いです。

その度に自暴自棄になり、悩み、また嘆いてしまうのです。

風のように軽く、鉛のように重く

気分が晴れやかな時は、まるで風がワタシの体を包み込むように軽く、少しだけふわりと持ち上げてくれているような感覚になります。

全てを前向きに捉えられるわけではないけれど、些細なことに喜びを見つけられることも、自然と感謝の気持ちが芽生えることも、息を吸うのと同じように簡単にできることがあります。

けれどももう一方の感情がジワジワと体を覆い尽くし始めると、軽かった体はズシンと重く、鉛のように動くことも大変になってしまうこともあります。

「どうしてこんなに上手くいかないんだ」と嘆くことがあります。

「どうしてワタシばっかり」と他人と比べて、自分の状況に文句ばかりを並べてしまうことがあります。

そして結局は、「ワタシなんて・・・」と自分の弱さと醜さに悲しさを覚え、そしてどんどん体が重くなっていくんです。

小さなことに目を向ける難しさを

大きく変化したことに気づき、声をかけることは難しいことではありません。

頭の中の辞書を引っ張り出して、言葉を探していく作業もそこまで難しくはありません。

けれども小さな変化に気づき、そして言葉にしていくことはとても難しいと感じてしまうことばかりです。

風のように軽く前向きだった時には、些細な変化さえも同じように喜び、そして言葉をかけていくことができる。

けれども鉛のような心では、大きな変化さえも見落としてしまうことがあります。

それはきっと体が重すぎるがゆえに、自分の足元ばかりを見て、顔を上げることを忘れてしまうからなのかもしれません。

いつしか足元ばかりを見ていたら呼吸まで浅くなり、息の吸い方まで忘れてしまいそうになることだってあるのだから。

2つの感情のスキマから

ワタシはとても不器用な性格だから、人間関係もあまり上手くはありません。

それでも周りからの印象は少し違って、「誰とでも仲良くできて、友だちも多い人」と言われることの方が多くありました。

それはきっと、半分ずつの感情のスキマあたりにある「本心を隠して、いい人を演じてしまう」そんな悪い癖のせいだと思っています。

ワタシだって色々な人たちと仲良くしたいし、混じり気のない気持ちで接したい。けれども、あらゆる経験を経て気づいたことがありました。

どれだけ本音で話そうとしても、自分の心を出そうとしても、上手くいかないことがあることを。そして、あれだけ仲が良かった人たちでも、時間の経過とともに簡単に離れ離れになってしまうことも。

だからいつしか、深く関わることが怖くなってしまったのかもしれません。

いつか切れてしまう縁ならば、ある程度切れる覚悟で本心はそっと2つの感情に隠しながら生きていく方が賢明だと・・・。

不器用だから

それでもやっぱり不器用な性格のせいで、出会った縁を信じて関わろうとしてしまうんです。

たくさん裏切られることもありました。

時には仲が良かった人たちでさえ、時間の経過と共にいなくなってしまったこともありました。

みんなそれぞれ感情があって、2つどころかそれ以上の気持ちの中で生きている人もいるかもしれません。

もしかすると、笑顔の仮面をつけてまるで違うことを考えている人もいるかもしれない。

もしかすると、ぶっきらぼうでも愛情に溢れている人なのかもしれない。

もしかすると、ワタシと同じようにただただ不器用なだけなのかもしれない。

人生は、あらゆる「もしかすると」の連続だったりするのかもしれません。

半分の感情の中で

今まで半分の感情の中の特に「負の感情」の方に嫌悪感を抱き、自分自身に嫌気がさしてしまうこともありました。

「優しくなろう、優しくなろう、優しくならなければいけない」そう考えてしまうことが多かったのかもしれません。

でも無理でした。

ワタシも人間だから、その時々で感情に変化があれば、気持ちの浮き沈みだってある。自分の気持ちを抑えてまで、優しくなる必要はないのかもしれません。

そして本心で語り、自分の強さも弱さも、そして優しい部分も卑屈の部分も全てひっくるめて仲良くしてくれる人たちもいる。

そんな人たちに心を向けていこう、そう思えるようになりたいと思います。

生きている限り、自分の感情とは切っても切り離せない関係です。そして人間関係の難しさも、これからもたくさん痛感しながら、時には落ち込んだり、喜んだりもするでしょう。

そんな時は、自分の弱さも含めて抱きしめてあげたいと思います。

それができるのは他人ではなく、自分自身だけだから。

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    感情はいつも半分を読んで

     心と言うものをいつも表面に表す、なんてことできませんよね。今回読んでSNS見たいと思いました。
     私の場合、投稿している今は、自分の本心かどうかは、私しか知るよしはありません。
     笑っていても、実際は悲しい出来事があったとか、元気そうで疲れて限界だとか···。
     コメントでもポジティブに返信はしているが、実はネガティブな状況とか···。
     あくまで、例えとしてSNSを引用しただけで、皆さんの投稿を否定するものではなく、私の場合に限ってです。
     どういう状況であれ、
    『私を大切にできるのは、私しかいない』
    そんか言葉が浮かびました。
     ありがとうございます。

     

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます!
      誰しもが抱く、あらゆる感情を2分割した時にこんな感じになるのかなって思いながら、今回は書かせていただきました。
      ワタシ自身も見た目では強そうに見えるのですが、心は脆く、本当は弱い人間です。
      その弱さを隠すのではなく、文章を通してさらけ出せるようになってからは、随分と生きやすくなったような気がするんです。
      誰だって二面性はあるし、それ以上の感情を抱くこともある。その感情を隠したり、その気持ちに嘘をついたりすることなく、「これも自分なんだな」と受け止められたいいなと改めて思いました。

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