暗闇の中でスマホのライトがあちらこちらで光を放つ。
その中央には、アコースティックギターを持ったブライアン・メイがいて、観客は一斉にある曲を歌いました。
彼の奏でる音楽の中で、たった一つの曲を同じ気持ちで合唱したんです。
『Love Of My Life』を。
右手を掲げ、両サイドに振りながらも涙を抑えることができませんでした。
包み込むような優しい音の中で、全てが一体化したあの瞬間をこの先も忘れないでしょう。
言えずにいた気持ちは
Queenを好きになったのは、ワタシが中学2年生の時でした。
初めて歌声を聴いた時、全身から鳥肌が立ち、なんとも言えない気持ちになったと同時に、涙を流しながら歌声に酔いしれていたのを今でも鮮明に覚えています。
力強さの中に儚さを感じる声は、考える力を一瞬で奪い去り、歌声に集中させるためだけに神経を使うことを選ばせたのです。
あの時初めて、心臓が震えるという感覚を味わったのかもしれません。
そして「この人たちが、好きだ」そう思いました。
けれども当時その気持ちを共有できる人はおろか、「ワタシはQueenってバンドが好きなんだ」と言う勇気もありませんでした。
同級生たちが好きだったものはまるで違っていて、そのことを言えばきっと悲しい言葉を聞くことになるとわかっていたからです。
すでにこの世には存在しなくとも
フレディが亡くなったのは、1991年です。
この時まだワタシは生まれていません。だから、彼らを知ったのはフレディが亡くなってから随分時間が経った頃からになります。
実際にグループとして活動していた姿を見たわけでもないし、生きている姿を生で見れることももちろんありませんでした。
それでも、画面越しに伝わる生き様は大きな勇気を与えてくれました。
この世に存在しなくとも、彼らの歌が寄り添ってくれているような気がしました。この時ほど、音楽が支えになってくれたことはないでしょう。
好きだと大きな声で言えた頃から
大人になった頃には、世間ではSNSなどを通して、あらゆるジャンルや年代の歌が聞かれるようになっていました。それこそ、ワタシよりももっと若い世代にも昔の曲が愛されることもあれば、その時代を生きられた人たちも同じように過去を思い出し、音楽に浸れるような世界へと変化しつつありました。
だからようやくワタシも言えるようになったんです。
「Queenが好きなんです」「ホイットニーが好きなんです」そうやって、自分の音楽の趣味を誰かに話したり、知ってもらったりできるようになりました。
長年隠し続けてきたからか、純粋な気持ちで「好きだ」と言えた時には、妙な達成感を覚えました。
そして「僕も好きなんです」とか「私も好きだよ」と聞くと、学生の頃に同じような気持ちを持った人たちに出会えていたら、もっと人生は豊かになったのかもしれないと、少しだけ思うこともありました。
一生に一度きりのコンサートを
人生でQueenのコンサートに行けるなんて、考えもしませんでした。
画面上で思いを募らせて、一人きりの空間で過去の音楽を聴きながら、心臓を震わせることが限界だと感じていたんです。
ただ神様が存在しているのだとしたら、きっと好きな気持ちが伝わったのかもしれません。
ある時、私の叔父さんが「Queenのチケット取れたら一緒に行かない?」と誘ってくれました。そして本当に抽選に当たり、コンサートに行くことができたのです。
同じようにこの日を待ち侘びていた人たちが大勢集まり、今か今かと開始時刻を待っていました。
そして時計の針が開始時刻を少しだけ過ぎた瞬間に、アダム・ランバートの艶やかで突き抜ける歌声から始まり、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーの演奏とともに、観客の歓声が響き渡る。
今まさに憧れ、勇気をもらった人たちが目の前で演奏をし、新たな世代がQueenの魂を引き継いでいる瞬間に立ち合わせてもらっている。そんな感覚がしたのです。
コンサートの中ではフレディが生きた証を映像として映し出し、まるで本物が歌っているかのように彼の歌声が会場に響き渡っていました。そして歌い終わると、ブライアンとフレディは互いにハイタッチをし、去っていくフレディの姿に観客は大きな拍手を送り続けたのです。
言葉を重ねる必要なんてなくて、「本当に素晴らしかった」ただこの一言に尽きるかもしれません。
好きを誇りに
コンサートに行き、改めてワタシは「自分が好きで居続けられたことを、誇りに思おう」そう感じました。
学生の頃には言えなかった気持ちは、大人になってから言えるようになり、そしてQueenという素晴らしいアーティストたちに出会えたことを幸運に思います。
これからの人生も、彼らの音楽に浸りながら心臓を振るわせる経験を何度もすることでしょう。
一番大切なことは、好きなことを堂々と「好きだ」と言えることだと思うのです。
フレディの言葉で、ワタシが一番好きな言葉があります。
I Decide who I am.〜私が誰かは私が決める
その言葉を胸に刻みながら、生きていこうと改めて心に誓って。
ナイーブな私に勇気をください
THE RHAPSODY TOURを読んで
『鳥肌が立ち、涙を流す』
私も若い時、(笑)音楽を聞いて鳥肌が立ったり、自然と涙を流した経験があります。
いいですよね。
今考えれば、へそ曲がりな私はその行為は何かなんだろうと勘繰りたくなります。笑
泣く行為ついて分析した結果が、次のとおりです。
『泣くことは、心身ともにメリットが多く、うれしい時も悲しい時も気持ちの高揚を落ち着かせようとする体の自然な反応である。自分の本当の気持ちに気付き、自分に対する理解を深め、少しづつ自分を解放することでもある。』
私の好きな言葉でもある、
『心(自分)のリリース(解き放つ)』
長くなりますが、もうひとつ感銘を受けた文中の言葉。
『私が誰か私が決める』
この言葉で最近SNSに投稿(現在はもう終了してます)した私の詞?を思いだしました。納言さんならクスっと笑っていたたけるかなぁ。笑
私···
私も貴方も知ってる私
貴方しか知らない私
私しか知らない私
私も知らない私
今日の私は···誰
今日も納言さんのエッセイこと、『心のリリースの広場』楽しましていただきました。
あくまで私の私的な呼び名です。笑
ありがとうございます。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
TK1979さんも文章の中で書かれていましたが、ワタシが一番好きな言葉が「私が誰かは私が決める〜I decide who I am」なんです。
これはかつてフレディが言っていた言葉で、初めてこの言葉を知った時、自分に一番足りないものが全て詰まっているような気がして、感動の涙を流した覚えがあります。
まだ誰も味方がいなかった時だったので、余計に勇気をもらいました。
誰かの言葉に左右されることもなく、誰かに人生を決められるわけでもなく、ワタシはワタシの人生を生きていいんだと背中を押してもらいました。
それ以降、この言葉がずっと心の支えとなっています。
音楽はいつでも勇気を与えてくれました。
そして自分の生きる道標を作ってくれました。
音楽の中に入り込む時間が好きで、メロディに合わせて色々な感情を抱きながら自分を模索する時間が好きなんですよね。
『心のリリース広場』とても素敵な言葉であり、その一部に慣れていること、心より感謝と喜びの気持ちでいっぱいです。
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。