今回のリクエストは、ワタシのInstagramのプロフィールにも書いてある、「いじめと差別」についていただきました。
いじめと差別は身近な存在で、どんな形であれきっと多くの方が経験されてきたものだと思います。
被害者側になることもあれば、もしかすると加害者側になることだってあるかもしれません。
そしてワタシは、学生の頃からいじめや差別を受けながら生きてきました。
SNSをやっていると、過去の自分の見る影もないくらい別人になったと思う瞬間があります。
けれども、いつまでも心に残り続ける傷は、そう簡単に癒えることはないと思うことも多々あるのです。
全てのいじめや差別がなくなることはないですが、せめてワタシと、その周りにいる人たちだけは悲しい思いも、誰かを故意に傷つけることもしないでほしいと思います。
それではスタートです。
肌が汚くて
初めて差別を受けたのは、小学一年生でした。
元々アトピーがひどく、袖から見える腕には薬で色素沈着した跡があったり、掻いた後には服に血がついてしまうこともありました。
まだ子どもだったから、血がつくこと以外は別に気にもしていなかったんです。でも、同級生たちはそんな体を見て、「汚い」「バイ菌がつく」「アトピー星人だ」と言いました。
その頃から誰も体に触れてはくれず、もしも少しでも触れてしまったときには、手で払われたり、水で洗い流すような仕草をされたこともありました。
何かを落としたときには拾ってもらえず、むしろ蹴られて遠くまで飛ばされたこともありました。
学年が上がるごとに見た目に対しての差別やいじめが酷くなったことは、言うまでもありません。
ワタシは小学生のほとんどの時間を、「アトピー星人」として生きることを余儀なくされ、そして触れてもらえない悲しさと、自分の汚い体に対しての嫌悪感を幼い頃から抱いて生きることとなるのです。
話しかけてもダメですか?
アトピー星人と言われるようになってから、もう一つ言われることがありました。
それが顔に対しての批判だったのです。
男女問わずワタシのことをブスだと言い、そしてその次に聞こえてくるのは「ブスは話しかけるな」と鈍器で殴られたような強い言葉を何度も、何度も言われるようになります。
今でこそ一重に対しての批判的な言葉は少なくなってきました。
けれども当時は、「一重=不細工」だったし、ワタシのように白目の割合が多く見える三白眼は、当時は名前すら知らず、ただ目つきが悪い奴というだけで毛嫌いされてきました。
それは小学生の頃から高校卒業まで、容姿に対する乱暴な言葉は続いていきます。
その度に、(ワタシはブスで、汚いんだ)そう思うことしかできませんでした。
いつしか人と話すこと自体、怖くなってしまったのです。
性の狭間で揺らいで
そしてもう一つ、ワタシには周りに馴染めない理由がありました。
それが性の揺らぎだったのです。
園児だった頃は、プリンセスが大好きでフリルのついたスカートやピンクのドレスのような服を好んでよく着ていました。
大好きな祖母が生きていた頃は、祖母の社交ダンス用のスカートを腰に巻いて、祖母と2人で舞踏会ごっこをしたものです。
けれども小学三年生を過ぎた頃から、少しずつ自分自身の好みも、性もよくわからなくなっていきました。
女の子という言葉に違和感をもち、少しずつスカートも履かなくなっていきました。
そして5年生になった辺りから、話し方も歩き方もなるべく女の子らしくないような仕草をするようになりました。
いじめられた反動なのか、自分を守るためにそうしたのか、それは今となってはあまり分かりません。
追い討ちをかけられて
大人になれば性の揺らぎは、ますます強くなっていきました。
自分の性別が二つしかないことに疑問を抱き、スカートを履くことに抵抗感が増すようにもなりました。
けれども当時付き合っていた彼たちは、ワタシに女性らしさを求める人ばかりでした。似合もしないワンピースを着てほしいと言われたり、「もっと女性らしくしなよ」なんて言われたり。あとはワタシと正反対の女性を指差して、比べられたりもしました。
その度に、自分の存在を否定されたような気分になり、苦しくて、悔しくて、情けない思いをしました。
だから彼たちの前だけは、「女性らしい自分」を演じることにしていたのです。けれども、そんな彼たちも、過去のいじめてきた人たちと何も変わりませんでした。
ふとしたときにワタシの腕や背中に残るアトピーの傷や跡を見て、「お前の背中って汚いな」と言う人も、少なくなかったから。
そしてその言葉を吐き捨てたあと、思い切り笑いながら「良かった。こんなに肌が汚くなくて」と悪びれる様子もなく平気で言うのです。
それからでしょうか。
人前で半袖を着なくなり、彼氏の前でもなるべく肌が見えないようにしたのは・・・。
受け入れられること
ワタシの人生は、ずっと容姿と性の狭間での生きづらさに悩み続けてきた人生です。
だから小学生から高校生まで、いい思い出は一つもありません。
悲しくて、悔しくて、惨めだった思い出しか残っていません。
長年、見た目で差別を受けてきて、不細工だという理由でいじめにあい、そして性の狭間に揺らいでいたために、変わり者扱いされてきました。
そんなワタシを救い、癒やしてくれたのはましゅぴであり、今も変わらず仲良くしてくれる数少ない友人たちです。
友人たちは、ワタシがLGBTQ+のクィアであることをそのまま受け入れてくれています。それどころか、「そうだろうと思ったよ。だからと言って、何かが変わることはないよ。納言は納言なんだから」と言い続けてくれています。
不細工だと言われ、いじめられてきた話をすれば「そんな奴は、性格の悪さが顔に滲み出てるから今ならものすごい嫌な歳の取り方してるよ!見返したれッ!」と背中をポンっと押して励ましてくれました。
今ではアトピーだったことを忘れるくらい、肌も綺麗に治り、半袖も普通に着られるようになっています。
ただ汗をかいたり、日光やお風呂の温度で湿疹が出たり、食べ物で急に蕁麻疹のようなものが出てしまうこともあります。腕周りは綺麗になっても、いまだに背中や見えない部分にはかつての跡が残ったままになっているのです。
その姿を見た彼は、そっと抱きしめてこう言いました。
「納言ちゃんはとても美しい人だよ。体も、もちろん心もね。痒かったら薬を塗ればいいし、跡が残っていても僕は美しいと思う。それを否定する人の心が汚いんだ。そんな人の目にはどれだけ美しいものを見たって、くすんで見えてるから、そんな寂しい人たちに何を言われても気にしなくていいんだよ」と。
完治することはできないけれど
心の傷も、そして見た目の傷も完治することはありません。
けれども、酷かった跡を薄くできるように、心の傷も薄くさせる方法があります。
それは、誰よりも信頼している人たちに言葉をかけてもらい、傷ごと抱きしめてもらうことだと思うんです。
あらゆる傷の上から、優しさと寄り添いの薬を塗ってもらうことだ思います。
今ではいじめに遭っていたことも、アトピーで悩み続けていたことも、そしてブスだと言われ仲間外れにされていたことだって恥だとは思っていません。
その傷口に言葉という方法で、あらゆる人が薬を塗り続けてくれました。
その言葉の薬を聞くたびに、少しずつ傷口も落ち着いてきたような気がします。
ふとした瞬間に、過去を思い出して自分自身が情けなくなってしまうこともありますが、そんな時は彼らからもらった言葉を思い出して、また勇気に変えているのです。
最後に
いじめや差別はどこにでもあります。
ワタシのように身近なことで言われることもあれば、別の形で差別を受ける場合もあります。いじめだって同じことです。
何も考えず言葉を発し続ければ、時に相手を傷つけ、追い込んでしまうこともあるでしょう。
ワタシは過去にあらゆる悲しみを味わいました。ここには書ききれないような壮絶な体験をしようとしたこともあります。どれだけ悲しみを背負い、心の傷が一生残ったとしても、相手は何事もなかったかのように平気で今を生きています。
だからこそ、心の痛みを知っている人は、同じように相手の痛みに寄り添わなければなりません。
子どもの世界だろうが、大人の世界だろうが関係なく、あらゆる場所で差別もいじめも起き続けています。
それを無くすことは、きっと不可能です。
だからこそ、せめて周りの人が悲しんでいるのなら、言葉の刃物を突きつけるのではなく寄り添い、言葉の薬を塗ってあげることが大切なんだと思います。
赤の他人とか、世界とか、そんな大きな規模の話ではなく、自分が心から愛し、大切に思っている人だけでいいんです。
もしも心に傷を負い、今も苦しんでいるのならそっと抱きしめてほしいと思います。
そして「あなたには、私がいるよ。だから自分自身に誇りをもって、あなたらしく生きて」そう伝えてほしいと思います。
それが何より、心の傷を癒す方法だとワタシは思うから・・・。
ナイーブな私に勇気をください
いじめ、差別で···を読んで
相手の立場に立つことは難しいですが、相手に寄り添うことはできると思いました。
そう言えば若い時、何かの学習で『人権を守れば差別はなくなるのか、差別をなくせば、人権を守れるのか』を議論したことを思いだしました。結果どのような結論にたどり着いたかは忘れましたが、『守ろう人権 なくそう差別』ですね。
ありがとうございます。
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。なかなか難しいですよね・・・。
差別もいじめも、決してなくならない永遠のテーマのような気がします。
けれども同じように痛みを知った人たちが、今度はまた別の人にあらゆる形で寄り添うことができたなら、その人の周りから少しずつ思いやりの種がまかれて花のように咲いていくような気がするんです。
痛みを知っている人は誰よりも強く、そして優しくなれる。
ワタシ自身もそんな人であり続けたいと思います。