歩いていかないと…

オリエンタル納言日常日記

ワタシは昔から、目の前にいる人に自分の気持ちを伝えることがとにかく苦手でした。

だから最後の最後まで、我慢をしてしまうんです。

嫌味のような言葉をかけられても、たとえ相手が間違ったことを指摘してきても、その言葉を飲み込む努力をしました。

嫌われたくない。

独りになりたくない。

自分の言葉で相手を傷つけたくない。

そうやって言われたときには笑顔を作り、そして謝っていました。

「ごめんなさい」と口に出し、自分を責めました。

(ワタシはなにもできないし、もっと頑張らないと。注意をされているのはワタシが間違っているからなんだ)と言い聞かせるようにして。

爆発寸前で

けれどもその気持ちには限界がありました。

理不尽なことを言われてもグッと感情を押し殺して、我慢をして、そして頭を下げる。だからどこかで、(本当は間違っているのは、相手なのにどうしてワタシが謝っているんだろう)と懐疑心が芽生えてしまうこともありました。

しかし、そんな時はまた言い聞かせるんです。

(自分が悪いんだ。自分が間違ったことをしているんだ)と言い聞かせ続けた結果、積りに積もった気持ちが爆発し、心がパンクしてしまうことが多くありました。

「もう、頑張ることをやめよう。限界なんだから」そう決めてみると気持ちは楽になるけれど、今までの姿と違うことを周りが感じ取り、「あの子は急に変わった」とか「最近変だよね」と悪目立ちをするようになることもありました。

ただ平和に過ごしたかっただけなのに、我慢していたものを爆発させてしまったせいで、平和どころか不穏な空気のまま人間関係が途絶えることも少なくありませんでした。

それは、なにも仕事だけに限らず恋愛も同じことだったのです。

いつもの癖で

本当はわかっているんです。このままでは、なにも変わらないことを。

そして、いつまで経っても同じことの繰り返しになってしまうことも。だから新しく仕事を始めた頃は、自分の気持ちに素直になって、肩に力を入れずに自分のために、そして大切な家族のために働こうと決めていました。

けれども、長年培われた性格や癖は中々消えてくれませんでした。

疑問に思うことや多少理不尽に思うことがあっても、昔と変わらず笑ってやり過ごしてしまっていたのです。

本当は自分の気持ちを伝えるべきだったかもしれない。それなのに、「すみません」と言って、息を吐くように謝っていました。

それでも納得ができない時は家に帰った後で、その日の出来事を彼に話していました。

変わるのはあなただよ

どんな気持ちになって、どういうことが間違っていたのかを彼に細かく説明をしました。

すると、一通り聞いた後に彼はこう言ったのです。

「ねえ、納言ちゃんはどうして間違ったことをされた時でも謝ってるの?」と。

「えっ?だって、注意されるってことはワタシが悪いってことだから・・・」

「いや、違うよ。それって考えることを放棄しているのと同じことだよ。自分の意思を伝えないと相手にはなにも伝わらないよ。本当におかしいことをしていて、傍若無人な態度をしていたら謝るのはわかる。でも納言ちゃんには、納言ちゃんの思いがあって仕事に向き合ってるわけでしょ?なら、どうして自分の気持ちを伝えずに、分かってもいないのに謝るの?それじゃあ、前の職場と何も変わらないよ」

「・・・」

「もうそろそろ、自分の気持ちを伝えられるようにならないと。それで嫌われたらそれまでじゃない?だって、そこで一生働くわけじゃないでしょ?納言のやるべきことはなんなの?ここで一生働くことなの?違うでしょ?」

「うん・・・違う」

「なら、そろそろ変わりなよ。作家ならね、もっと自分の気持ちを伝えないと。それじゃあ、どんなにいい言葉を書いても、読者の人たちにもいつか見透かされるよ。上っ面だけで話してるんだなって」

二人の師匠は腕を組み

それからしばらくたったある日、私たちは休みを利用して友人であるれいなさんのところに行きました。

そこでも、ワタシが自分の気持ちを伝えられないという話になったのです。

すると二人ともが腕を組みながら、「どうして気持ちを伝えないの?」と不思議そうに聞かれました。

彼にも伝えたように、ワタシは自分の気持ちを伝えることで起こりうる様々な弊害について話をしてみました。

すると二人ともが「ふぅ〜」とため息をつき、「我慢して今までいいことなんてあった?結局は心を壊してしまうだけだよ。それなら、意見をしっかり言った方がいいよ。別に嫌味とかじゃなくて、わざと喧嘩腰で行くんじゃなくて、疑問に思ったことをただ聞けばいいんだよ。それで相手が変な感じできたら、そしたらもう戦ってやれ!!」と口を揃えて言ったのです。

「あのね、言っても言わなくても同じ結果になるなら、ちゃんと気持ちを伝えた方がいい。それに全ての人に好かれて、平和に過ごすことなんて不可能なんだよ。だって、同じ職場にいるってだけで、別に友だちを作りに来てるわけじゃないでしょ?お金をもらって、生活のために働いてるんだから。過度に不安がる必要もないし、期待する必要もない。嫌ならやめればいいんだよ。夢があるんだから、そのための資金調達でしょ?『ネタにしてやる!』くらいの勢いで行かないとね。自分の気持ちに負けちゃダメ」とれいなさんは続けて言ったのです。

変わるためには

「人は変わらない」そう散々色々な人に言われてきたし、あらゆる経験の中でワタシ自身も学んできたはずでした。

けれども実践になるとどうしても臆病になって、不安になって、気持ちを隠してしまうことがあります。どこかでまだ、心に重たい鎧をつけて傷つかないように守りに入っているのいるのかもしれません。

けれども勢いがありすぎる二人の戦士たちに言われた言葉は、いつまでも頭の中で再生を続けていたのです。

そろそろ本当の意味で変わらなければいけないのかもしれません。

他人を変えることは難しいのと同じで、自分を変えることも相当難しいことだと思います。けれども、同じようにやってきて失敗し続けているワタシは、そろそろ気がつかなければなりません。

一歩を踏み出すだけでは、何も始まらないことに。

スタートラインに立っただけで、そこから歩こうとしなければ過去にしがみついているのと同じだということも。

だから彼らの勇気を少し借りて、自分の気持ちを伝えてみようと思います。

期待をするのではなく、見返りを求めるのではなく、ただ純粋に人と人のコミュニケーションとして想いを伝えられるように・・・。

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    歩いて行かないとを読んで

     今回は、やはり納言さんは真面目な方なんだなーと思いました。
     心の余白を使わないように、自分の言葉で伝えられるようなコミュニケーションができるようになることを切に願います。
     日本は『恥の文化』とか聞いたことがあります。目に見えない世間に恥ないように、また何かあればまず『すみません』でしょうか。英語では『sorry』ですね。
     日本の言葉は風情があり、すみませんの意味は、謝罪·感謝·依頼と3つあるようです。また、目上の方には『申し訳ありません』になります。
     私は『心の余白』の感想コメントでも述べたように、心の余白に土足で入って来たり、理不尽なことを言ってくるような方には『すいません』と言う言葉以外にパワーを使わないと決めています。心の余白を使って理解を求めても、私に取って人間関係を築く必要のない方であり、少し経てば私の回りにいなくなるのは確実です。
     今、仕事を上手くやりたいとか、嫌われたくないとかはもういいです。理解してもらう必要もありません。
     私に必要な方は、心の余白を使っても、私に心の余白を与えてくれる方だけです。今の私はさんざん理解を求めた成れの果てです。
     仮に、言葉を続けるとしたら
    『すみません、もう貴方と関わりません』
    でしょうか。笑
     私に取って『すみません』は色々な意味を持つ魔法の呪文なのかもしれませんね。笑
     私は『すみません』と言う言葉だけなら、大変風情のある好きな言葉です。笑
     ありがとうございます。

    追記 最終選考おめでとうございます。
    もう、サイは投げられましたね。
    今後のご活躍期待しています。

    • いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。
      感想を読ませていただきながら「すみません」に込められている想いを知り、改めて日本独自の言葉の美しさ、そして風情にハッとした気分になりました。
      ワタシ自身も気がつけばよく、「ありがとう」よりも「すみません」と言っているような気がします。どこかで申し訳ないと思い、そして悲観的に感じることも多くありましたが、今回の感想を読んだことで新たな良さを知れたような気がします。

      そして、今まで数々の文章を読んでいただき、最終選考ではありますが前向きな知らせを伝えられてワタシ自身も嬉しい気持ちでいっぱいです。
      大賞に選ばれるかどうかはまだわかりませんが、良い結果になることを祈りながら、これからもワタシなりの言葉で想いを綴っていきたいと思います。
      いつも、色々な言葉で寄り添ってくださり、本当にありがとうございます。

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