ある時、ふとこんな記事を読んだことがありました。
それは、かの有名なジブリ作品の生みの親である宮崎駿氏の「感情は風で表現する」という言葉。
その言葉を見た後に、ワタシはなんとなくジブリ作品を見返してみました。
すると、あらゆる感情において風がキーワードとなっていました。
心の揺れ動きに合わせて風が吹き、時には突風をも巻き起こす。
その姿はまさに、感情そのものでした。
心の揺れ動きは
その時ワタシも、同じように考えてみたんです。
「もしもワタシ自身の心の揺れ動きを表現するとしたら、何になるだろう」って。
けれどもそう簡単に答えが出るはずもなく、ふとした時に考えて、また諦めて、また考えてを繰り返していました。
そんな時、友人が「私はね、怒っている時に自然と涙が出るんだ。悲しいとかじゃなくて、悔しくて、感情的になると勝手に涙が出てくるんだよね」と言いました。
彼女の言葉に、ワタシ自身も思い当たる節がありました。
悲しい時には、自然と涙が溢れてゆく。
嬉しい時には、涙を流して喜びを分かち合う。
怒っている時は、どうしようもない感情が爆発して涙がボロボロと流れていく。
不安になると、静かに涙は頬をつたって濡れた道を作っていく。
全ての感情の先に、涙があることに気づいたんです。
我慢していたあの頃
しかし、過去のワタシは涙を流すことに若干の嫌悪感を感じていました。
涙を流すことを弱いと考え、どれだけ感情が揺れ動いたとしても絶対に流しませんでした。ましてや人前で泣くだなんてことは、なんとしてでも阻止していたほどです。
どれだけ感動できる映画を観たとしても、隣に誰かいるのならワタシはグッと堪えました。
泣かれているところを見られたくない一心で、なんとか気持ちを制御する方向に必死になっていたんです。
しかし、いつからでしょうか。
周りのことを気にせずに、自然と泣けるようになったのは。
涙もろさは、豊かさの証
「大人になると、途端に涙もろくなる」という言葉を、幼い頃よく耳にしていました。
子どもの頃なんかは、(どうして大人になると、泣けちゃうんだろう)と考えたこともありました。
ただ実際に大人になった今、あの言葉通りワタシは涙もろくなっています。些細なことで感動して、時には悲しみに暮れて、怒りを露わにすることもある。
そしてその気持ちを表すのは全て、涙なのです。
大人になってから、子どもの頃には感じなかった感情をたくさん味わうようになりました。それはきっと、人生を歩む中で人と関わり、自分の心と向き合いながら感情を知っていったからだと思うんです。
「こんなことで」と思うことでも過去の気持ちと照らし合わせて、想像力を働かせた時、感情が自然と涙として現れることを知りました。
きっと涙もろい人は、大人や子どもに限らず感受性が豊かなのでしょう。
そしてあらゆる感情を経験した人たちが、涙を通して気持ちを表すことができるのかもしれません。
感情に年齢なんてない
涙はこの世の中で最も美しいものであり、だからこそ、年齢に限らず涙を流せる人をワタシは素敵だと思っています。
「大人だから」そんな言葉を嫌というほど、耳にしました。
大人だからこそ泣くことが必要な時もあるんです。
我慢していたものが溢れ出して、自然と感情を露わにする瞬間が大人にだってあるんです。
涙を流す理由に大人も子どもも関係ない。
そこにどれだけの感情が動いているのかが、大切ではないでしょうか。
我慢なんてしなくても
ワタシはこれからも、あらゆる感情を涙と共に感じていきたいと思っています。
大人だからこそ、心に素直でありたいと思うんです。忘れてしまいそうな気持ちを、あの頃の純粋さを無くさないように、正直に生きていきたいと思うから。
そしてもしも、悔しくて、悲しくて、それでも我慢していることがあるのなら、思いきり泣いてほしいと思います。
どうしても涙が出ないのなら、それはそれでいい。
ただ、心が泣いているのなら言葉で悲しみを吐き出してください。
嬉しい時に自然と溢れてしまうのなら、我慢せずに流してほしいと思います。
その感情は、どんな高価なものよりも美しく価値のあるものだと気づいてほしいから。
ナイーブな私に勇気をください
感動の揺れを読んで
泣くという行為は、寝ると同じように、身体及び心をリラックスさせる自然な行為ですね。泣けば交感神経を副交感神経に移行させ、心を解き放してくれ、高ぶったホルモンを涙と一緒に流してくれます。
私は、今日はちょっと泣いてみようかな、というぐらい自然な行為と思います。また、泣くことについて、罪悪感や病んでるなどという考えはありません。そのような方がいればアドバイスしてあげたいぐらいです。
そう考えたら納言さんのブログは私にとって泣く行為と同じぐらい大切で自然な場所ですね。
『心のリリース(解き放つ)広場』
ありがとうございます。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
ワタシの書いたものを、「泣く行為と同じくらい自然のことだ」と言ってももらえたことに、今まさに少しだけ涙腺が緩みそうになりました。
どんなことも我慢は良くない。そう最近では思うようになりました。自分の気持ちを我慢する、理不尽なことを言われているのに気持ちを飲み込む、相手に合わせて自分の感情に蓋をする。それは全て泣くことを我慢しているのと同じくらい、不健康な行為だと最近痛感するようになっています。
自然体で生きようとすれば、あらゆる感情が芽生えてくるの当たり前ですよね。その中には涙を流すことも含まれているような気がします。どんなことも結局は、自分の気持ちに素直になって、なにかしらの形で表すことが大切だと思うんです。