若い世代の保育士さんへ

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

「納言先生、保育がつらいです。子どもだちはすごく好きです。この仕事にもやりがいを感じています。でも、辛いんです・・・。自分は保育士には向いてないんじゃないかって」そう言われたことが一度ではなく、何度もありました。

その理由は単なる経験不足ではなく、保育業界特有の縦社会と女性社会の黒い部分が大きな原因になっているのではないかとワタシは考えています。

子どもたちと向き合い、愛情を持って接していた素敵な若い世代の保育士たちが現場を離れていく姿を、ワタシも何度か目の当たりにしてきました。

ワタシの力不足もあって、彼女たちは涙を流しながら職場を離れていったのです。

そしてその後ろ姿をただ、見送るしかできませんでした。

涙を流し、心を壊してまで現場に立ち続けた後輩を知っています。

どんな状況でも、笑顔を作り必死に耐えていた後輩を見てきました。

そんな後輩たちも、今では別の場所で働いている子もいれば、完全に現場から離れてしまった子もいます。

そして今もなお、苦しい中で心で泣いて、表で笑って働いている後輩たちも見ています。

そんな若い世代の保育士さんたち、いや、一緒に働いてきた後輩たちに向けてのエールを込めて、今回はエッセイを綴っていこうと思います。

先生たちへ

ワタシにも若手の時代がありました。

あまりにも特殊な環境にいたせいか、保育士としての仕事内容なんてものは教えてもらえずに、社会の厳しさを、そして子どもの世界よりも大人の世界の方が残酷で冷たいものだと仕事をしながら学びました。

「教えて下さい」そう頼んでも、教えてくれる人はいませんでした。

初めてのことで何も分からなくても、「見て覚えるのが当たり前」と言われ、能力以上の働きを求められました。

できた時には一緒に喜びを分かち合うことはなく、出来なかった時だけ別室に呼ばれて、1時間以上も叱責をされることがありました。

保育の現場に立つことがいつしか恐怖に変わり、子どもたちの純粋な笑顔を直視できなくなってしまった時期もありました。

それでもこの仕事が好きで、なんとか一人前の保育士になりたくて現場に立ち続けてきました。

一年、また一年と年数を重ね、気がつけばワタシも今ではベテランと呼ばれる歴になりつつあります。

ワタシもあのままあの場所で、偏った考えの保育観で仕事を続けていたら、「不適切保育」を行った保育士としてニュースに出ていたか、あるいは現場には戻らずに心を病み続けて命を絶っていたでしょう。

けれども、たった1人の先輩が言ってくれた言葉が、今でも大きな軸として心の中に残り続けています。

「納言先生、一緒に仕事をするからには一年間大変なこともあるけれど、まずは私たちが楽しまないとね。先生は素敵な保育士さんなんだから、自分の信念をしっかり持って、子どもたちに愛情を注いであげてね。出来ないことがあるのは当たり前なんだよ。それを助け合って子どもたちの成長を見届けるのが保育だから」と。

あの時の言葉は、今でもずっと心の中に残り続けています。

そして自分自身に後輩ができた時には、同じことを伝えてきました。

仕事上の先輩後輩はあるけれど、保育の現場ではみんなが同じ保育士です。子どもたちにとって、そして保護者の方にとっても年数なんて関係なくて、みんな同じ保育士という立場として見ています。

けれども保育士の中にも、心の狭い人たちはいて、若い世代が自分なりに考えて新しいことにチャレンジしようとする姿に嫉妬をする人がいます。

全てを完璧にできないことに苛立ちを感じ、ストレスの捌け口にしようとする人もいました。

時には、ベテランがやるなら賛成するけれど、若手が同じことをしようとすると烈火の如く怒り狂う人までいました。

そうやって少しずつ若い芽は摘まれていき、周りの顔をうかがいながらYESマンとして上司や先輩の機嫌をとることが何よりも大切だということを学ばざるを得なくなってしまうのです。

本当はやりたいことがいっぱいあったと思います。

失敗してもいいから、チャレンジしたいこともきっとあったと思います。

不安な時は気兼ねなく相談して、助けて欲しいと願ったこともあったでしょう。

けれども、そんな声に答えてくれる人はきっとほとんどいなかったと思います。

けれども、若い世代の子たちの保育の仕方に、学ぶ瞬間がありました。

言葉がけや子どもたちへの寄り添い方を見て、真似をしようと思いながらこっそり実践したことも何度もあります。

新しい風を運んでくれるように、ワクワクするような発想を思いついてくれる後輩も沢山いました。

かつて一緒に働いていた後輩たちは、それぞれ別の場所に行き、悩みながら保育士として今も現場の前線で働き続けています。

そして今ワタシが働いている場所にも若い世代の子たちがいて、保育を通してあらゆることを学んでいます。

歴を重ねたところで、人の心まで変わることは残念ながら難しいと思います。

だからと言って、自分の行動を全て否定することはしないで欲しいのです。

保育の世界に答えはありません。そして、先輩だから優秀だとか、後輩だから仕事ができないなんてこともありません。

たった一つだけ大切なことは、今目の前にいる子どもたちのことを想い、多くの愛情を注ぎながら成長し合える関係が何よりも大切だと思います。

もしも、自分の保育に自信がなくなってしまったら、子どもたちの表情を見てあげてほしい。

あなたが接することで、子どもたちはどんな表情をしていますか?

嬉しそうに笑っていますか?

手を伸ばし、抱っこをして欲しそうにしたり、なんの迷いもなく膝に座ってくることはありますか?

4月、5月で泣いていた子が少しずつ笑顔になり、遊びを楽しむ姿がありますか?

もしもそんな姿が見られるのなら、それはあなたが保育士として、1人の人間として愛情をたくさん注ぎ、沢山声をかけ、寄り添ってきた証拠なんです。

だからどうか、自ら自信を奪うようなことはしないでください。

誰にだって得意不得意はあるし、何よりまだまだ経験していないことも沢山あります。

それは時間を重ねれば身につくことだから、心配しないでください。

それよりも子どもたちに寄り添い、自分なりに一生懸命に向き合っていれば、彼らは答えてくれます。そしてあなたを先生として、ちゃんと好きで居続けてくれます。

だからどうか、自分自身を責めたり、誰かと比べて落ち込んだりしないでください。

あなたにしかない保育士としての魅力を、きっと子どもたちは見ているはずだから。

それでも保育士として働いていることに疲れてしまうことがあるのなら、一旦その場を離れて自分の心を休ませてあげてください。

保育士としての代わりは、いくらでもあります。けれどもあなたの人生を生きられる人は、あなたしかいません。

だから辛く苦しくなる前に、その場から離れてください。

子どもたちはこれからの未来を担っていく大切な存在であり、かけがえのない宝物でもあります。その子どもたちの人生に多く関わる保育士さんたちは、同じように大切な存在であるとワタシは思っています。

だからこの場では、あえて「がんばれ」という言葉は控えようと思います。

その代わり、今も現場で働き続けている保育士さんたちには別の言葉でエールを送り、今回のエッセイを終わりにしたいと思います。

毎日必死に小さな命を守り続けることは、時には心がすり減ってしまうこともあるでしょう。子どもたちがどれだけ可愛くてかけがえのない存在だったとしても、心が追いつかなくなってしまう時があるかもしれません。そんな時は肩の力を抜いて、自分の人生のために生きる選択肢があることを忘れないで欲しいと思います。そして若い世代の先生たちは、現場での難しさや不安、そして時には悲しい思いをすることもあるかもしれません。けれども、たった1人でもあなたたちの保育の姿に尊敬の念を抱き、そして感謝をしている人がいると思います。歴を重ねてしまったことで、忘れてしまう感情が少なからずあるかもしれない。けれどもあなたたちには若さではなく、純粋に保育士として子どもたちに向き合い、がむしゃらに頑張る姿に勇気をもらう瞬間があります。そんな自分を誇りに思い、そして自分自身を沢山褒めてあげてください。そして全ての保育士さんたちが、本当の意味で楽しく、子どもたちと関われる社会になることを心から願っています。

ナイーブな私に勇気をください

タイトルとURLをコピーしました