さて今ワタシは、好きになりかけているマルチと共に、外に来ていました。
閑静な住宅街の中に凛と建つマンションがある。
しかし、そこには今のところ用事はありません。
だって今日は、社長と名乗る男性とカフェでお茶をしながら話を聞く回だったからです。
頭の中では、(ワタシにとって保育士って何だろう。今やりたいことって何だろう。今できることって何だろう。もしかしたら、この会合で何かが変わるきっかけになるのかもしれない)そんな淡い期待を持たずにはいられなかったんです。
当時のせっぱ詰まった状況と、この先の未来に希望も持てない現状。
そして自分自身が何者になろうとしているのかも分からない今を、彼なら何とかしてくれるかもしれないと、思ってしまったのです。
だからこそ、冷静な判断ができなかったのかもしれません。
きっと今なら、この異常な状況に気づけたかもしれないのに。
不信感は募るばかり
マルチと共に歩いていると、突然こんな茶番を繰り出してきたんです。
それはマルチの電話が鳴り、険しい顔をしながらワタシの元から少し離れた場所で電話をし始めました。
「はい、はい・・・。あぁ、確かに。はい、わかりました。いえ、こちらこそです」相槌オブ相槌を繰り返しながら、電話越しで深々と頭を下げるマルチ。
その間ワタシは、ぼーっと彼らのやり取りを見守るばかり。
一体これからどんなことが起きるのか、むしろ今はこの時間は、一体何なのか。
全てが謎のまま進み始めていく恐怖も、正直どうでも良くなっている自分がいました。
電話が済むとマルチは、「ごめん。なんかカフェじゃなくなったんだ」と言い、その後ただ一言「ついて来てくれる?」とワタシの手を掴み、そのまま歩き始めたのです。
このままどこかへ連れて行かれるのかもしれないという恐怖より、何が始まって、一体どんな社長が出てくるのか、そっちの方に興味が湧き始めていたんです。
もしも、おかしい人だったとしても、それもまた人生のネタになるかもしれないと思ってしまったのです。
いざ社長の元へ
元々はカフェで落ち合うはずが、どこかで話がおかしくなったのか、何と社長が住むタワーマンションに行くことが決まっていたのです。
するとマルチはおもむろに「これ、一応アンケートだから答えてくれる?」とワタシにスマホを差し出しました。
その時に全てを悟ったのです。
マルチは恋愛感情なんかなくて、ただワタシを利用しようとしていたことを。
しかし、ここまで来て帰るのも何だか勿体無い気がして、雑な質問に雑な答えを書きながら、(今ワタシは何をしているんだろう)という虚無感というか、虚しさというか、悲しさというか、もう感情ぐちゃぐちゃになりながら、言われた通りアンケートに答えていきました。
そして「社長はね、中々会ってくれない人だから納言ちゃんはラッキーだよ。きっと人生変わるよ」なんて言ってくるんです。
(こいつまじかよ)とも思いましたが、「そうなんだ。楽しみだな」と楽しさを演じるワタシは、まさに女優のような気持ちでマルチの言葉に感情を込めて答えていきました。
そして、マルチとまた歩き出したのです。
向かっている途中コンビニに寄りたいということで、待っていると一本のお茶を手に持ち、颯爽と戻って来ました。
その顔からは、俺は、一仕事やってみせるぜ!という気持ちが溢れており、輝きすら放っているような気がしました。
社長登場
そしてついた先は、大きく街が一望できるほどの高級なタワーマンションでした。
エントランスからもオレンジ色の光が点滅しており、高級感に溢れていました。
待つこと10分。
エントランスの扉が開き、肩で風を切りながら歩いて来た奴こそ、マルチが恩を感じている社長だったのです。
しかし、社長というにはオーラがなく、そして何だか見た目もだらしない感じにしか見えませんでした。
しかし、マルチの目は輝きに満ちており、社長に会うなり「夜遅くに時間を作ってくださり、本当にありがとうございます!!!」と腰を90度に曲げて深々とお辞儀をしていました。
そして社長は言うのです。
「いやね、マルチのためだから時間作るわけよ。お前じゃなかったら時間なんて作らねーよ」と。
まさに茶番、茶番、茶番の連続。
社長とマルチとワタシの順番にタワーマンションに入り、高級そうなエレベーターに乗り込みました。
そこではジャズが流れており、まるでホテルのような雰囲気さえ感じさせるほどでした。
(こんな世界もあるんだな・・・)と思いつつ、この二人の関係性も不安になるし、たった一人で来てしまったことも間違いだったと思いましたが、もうすでに遅かったのです。
謎に包まれた部屋
社長が住んでいると言われていた部屋に案内されたワタシは、すごく違和感を感じていました。
生活感のまるでない部屋、電化製品も電子レンジと簡易的な冷蔵庫のみ。
ソファーが置いてあるわけでもなく、きっと趣味でもないような絵が飾ってあるその手前には、塾で使われるようなホワイトボードが置かれていました。
ガラスで作られたテーブルに腰掛け、あたりを見渡しましたが、誰が見ても人が住んでいるような生活感は、ありませんでした。
レンタルハウスのような場所で、今から話をするなんて、もうそれはマルチ商法のそれでしかない。
完全にマッチングアプリを利用したマルチ商法に騙されたのだと、理解するのに時間は全くかかりませんでした。
しかし、どこかでは(彼は本気で心配してくれているのかもしれない)と信じたい気持ちもあったんです。
信頼ゼロの理由
社長は自慢げに部屋を紹介し、そしてワタシの目の前に座りました。
「マルチ、この子が言ってたマッチングアプリで出会った子だよね?」
「そうなんですよ。本当にいい子で、素敵なんです。ねっ!納言ちゃん」
「いいねぇ。もう二人は付き合ってるの?」
「いや、そういうわけではないんですけど、頻繁に遊んでるんですよ」
「そうなんだ。納言ちゃんて言ったっけ?いやぁ、いい子そうだし、関われて嬉しいよ」
そんなことを話す二人をよそにワタシは、あることが気になって仕方がありませんでした。
そう、社長の前歯が朽ち果てていることに。
社長という人間の前歯がなぜ朽ち果てているのか。
お金があるのなら、なぜ前歯を治さないのか。
つい最近朽ち果てたような雰囲気ではなく、ずっと前から朽ち果てているその前歯に、不信感が募りまくっていました。
だって、社長というのであれば、きっと容姿にとても気を遣うはず。
清潔感は一番大切な身だしなみ。
それなのに、それなのに・・・。
前歯が朽ち果てているなんて・・・。
始まる話は嘘だらけ
前歯が気になりながらも、約1時間半の間、社長の生い立ちや学生時代の話を永遠と聞かされていました。
どんな学生時代を送り、自分がどんな人間なのかをひたすら聞かされたんです。
もう、それはそれは地獄みたいな時間でした。
あんなつまらない話を聞かされたのは、一体いつぶりなんだろうと考えてしまうほど、本当に武勇伝、武勇伝、また話は戻って武勇伝。
いつまで武勇伝を話すんだよ!!!!!!!!と怒り散らかしたくなるほどの武勇伝は、あれ以来ないかもしれません。
そしてひとしきり武勇伝を話した頃、社長に一本の電話がかかってきました。
夜景を一望できるような高さのベランダに出て、こちらをチラチラ見ながら電話をしている。
すると、「どう?社長すごくいい人でしょう?納言ちゃん、、分からない事とかない?大丈夫?僕もアシストするから、いつでも言ってね」
「・・・あっ、うん」
(この武勇伝の中で分からないことなんてあるわけないだろ!お前らの思考がわからんわ!)という気持ちをグッと堪えた自分を褒めてやりたいです。
「ごめんごめん。会議の電話だったわ。もう忙しくて困っちゃうよ」
「さすがですね。社長みたいに俺もなりたいですよ」
「お前ならすぐになれるよ。そろそろ本題話していこうか」
そんな雑な会話を最後に、ここから本当の話へと向かっていきました。
マルチ商法の全貌
ここからはワタシが覚えている限りの話になってしまうのですが、結論から言うと、起業のセミナーに入るというマルチ商法の一つに、勧誘されていました。
半年間と半永久コースがあり、その2つでは値段が倍以上も変わること。
そしてほとんどの人が半永久の方で申し込みをすることも、合わせて伝えられました。
実際にセミナーと言っても、集会に出たり、zoomで会議を聞いたりする程度の話。その前段階には商材を買って、どうしたら起業できるのかを教えてくれると言う話だったのですが、そこでまた一つ、不信感が募る話が出て来たのです。
この起業スクールに入ると、あることを学べると言われました。
それが、投資という名の賭博だったのです。
上手く話をしながら、賭博をすることを勧められていました。
そしてお金が作れない場合は、何軒かの消費者金融からお金を借りて返済していけばいいということまで伝えられたのです。
「消費者金融ではなく、分割で口座引き落としとかじゃダメなんですか?」と聞いてみると、「いや、消費者金融の方がいいよ。うん。それがいいと思う。ほとんどの人がそうしてるしね」とだけ言うのです。
ますます信用できない話は続き、半年の契約と半永久の契約では何が違うのかも聞いてみると、あんまり大差がない上に、「オーダーメイドのスーツがもらえるよ」と付録のような扱いのスーツが最高の特典だと言わんばかりに紹介されました。
どこからどう見ても不信感しかないプラン、そして紛れもなくこれはマルチ商法への勧誘だと気づいた時には、もう悲しさと悔しさでいっぱいでした。
マルチと過ごした数ヶ月間が全て仕組まれたことだと、気づかざるを得なかったから。
そして社長は最後に、言いました。
「納言ちゃんはどっちにする?」
「いや、ワタシはちょっと相談してみます」
「あっ。相談はダメだよ。だってみんな『絶対やめとけ』って言うから。そんなこと信頼してたら起業なんてできないからね」
「大丈夫だよ納言ちゃん!僕も出来る限りサポートするから」
「・・・」
「ここで即決できない人は、成功しないんだよ。即決できる人だけが成功者になるんだ。な?マルチ」
「そうですね!」
しかし、いかにも怪しすぎる話に、「今日ハンコとかも持って来てないですし、また明日返事でもいいですか?」と伝えると、「ならマルチ!明日納言ちゃんのところまで行って誓約書交わしてやりな」と言いました。
こうして謎に包まれたタワーマンションでの会合は、お開きとなったのです。
マルチの想い、タワーマンションへ届け
マンションを出た後、ワタシは悲しさよりも騙そうとしているマルチに怒りの感情が芽生えていました。
そして聞いてみたのです。
「どうして消費者金融で借りることを、あんなに進めるの?返すなら、銀行とかの引き落としだって何も変わらないじゃん。それなのに、カード使ってお金を借りさせるなんて変じゃない?あれはどういう意味があるの?」
「・・・。いや、まぁ、とにかくそれの方が楽だからだよ。僕も消費者金融で借りてるし。大丈夫だよ」
「あとさ、こんなこと言っていいか分からないけど、社長ならどうして歯がないの?身だしなみって一番大切だよね?歯がないのはなんでなの?」
「それは僕にも分からないけど、面倒なんじゃない?まぁ、とりあえず明日書類持って行くからさ。一緒に頑張ろうよ。納言ちゃんならきっとうまく行くから。僕もサポートするし」
「最後に聞いていい?」
「何?」
「自分で起業したって言ってたけど、あれって本当は、あのセミナーから出してもらったとかじゃないよね?形式上、会社を持ってるって、形上だけして、マッチングアプリの女の子を騙そうとしてる訳じゃないよね?」
「・・・。」
「答えてよ」
「いや、うん。とりあえず今日はもう遅いから、送っていくよ」
そう一言だけ呟き、彼はワタシを駅まで送って行くと言いました。
しかし、何を思ったのかタワーマンションの前で止まり「僕もいつかタワーマンションに住むんだ!!!」とまるでアニメの主人公ばりの意気込みを述べた後、静かに駅まで送り届けられたのです。
駅に着くと、「明日また会いに行くから」そう言って、ワタシの頬にキスをしました。
内心(こいつどんな神経してんだよ!!)と思いましたが、それ以上にとても悲しかったんです。
もうすぐ契約が取れることで嬉しく思っているであろうマルチと、きっとこれで最後のお別れになるだろうと悟っているワタシ。
こうも恋愛が上手くいかないことがあるなんてと、悲しみと共に電車に揺られながら、一人寂しく家へと帰っていきました。
〜次回〜
マルチとの話し合いはどうのように進んでいくのか。
そしてワタシの恋の行方はどのような終結を迎えるのか。
次回に乞うご期待です!!!
ナイーブな私に勇気をください