天国行きが決まった私たちは、スーツのおじさんに言われた通り、順番に長い長いエスカレーターに乗って、雲の上のそのまたさらに上を目指していました。
そこにいた誰もが穏やかな気持ちで、天国がある場所へと向かっていたと思います。
誰1人として顔見知りではなかったのですが、天国仲間としてこれから仲良くしていきたいという気持ちもある、そんな雰囲気がエスカレーターに乗っている人たちから伝わっていました。
中には「家族に会いたいなぁ。もう先に天国に行っているかもしれない」と話している人もいました。
しかし、私の家族は住み慣れた家の寝室で今も眠っているだろうから、私が家族に会えるのはもっと先のことなのかと思うと、なんだか嬉しい気持ちよりも切なかったり、悲しかったり、そんな負の感情の方が芽生えてしまいそうだったような気がします。
色々なことを考えながら、上を目指しエスカレーターに乗っていると、突如エスカレーターと並走するおじさんが現れたのです。
謎の乗り物に乗る謎多きおじさん
おじさんはとても変わったたまご型の小さなカプセルに乗って、登場したのです。
おじさんはカプセルの窓をオープンカーさながらに格好つけながら開けて、私に「お嬢ちゃん!よかったねぇ〜。君は天国だってよ。いや〜、本当に良かった。私も嬉しいよ」と言いました。
話しかけられたこともあり、私はずっと心の中にあったことを思い切って聞いてみることにしたのです。
「あの、おじさん!「地』って書いてあった人たちは、どこに行くの?」
「そんなの決まっているよ。地獄だよ。じ・ご・く!」
「地獄って怖いところだよね?」
「お嬢ちゃんも本とかで見たことがあるだろ?悪いことをした人たちが行くところだよ。まぁ、滅多に行くことなんてないんだけどね。でも、今日みたいにたまにいるんだよ、地獄行きになるやつは」
「じゃあ、『七』って書いていた人たちは?」
「あの人たちは、何かやり残していたことがあったり、誰かが『お願い、もう少しだけ一緒にいて!!』と強く願ったりすると、『七』になることがあるんだ。まあ、それも中々少ないけどね」
今まで本でしか知らなかったことを、おじさんは私にも分かりやすく教えてくれました。
そこでふと気になったのは、あの大声で怒鳴っていた男の人が連れて行かれた「地獄という場所」でした。もしもできることなら、一度でいいから見てみたいと思ってしまったのです。
「おじさん!地獄を見てみたいって言ったら、私は天国には行けなくなっちゃう?」
「えっ!?地獄を見たいだって!?お嬢ちゃんは変わっている子だね・・・。地獄を見たいと言った人間なんて、今までいなかったよ・・・。見ても面白くないけど、それでも行きたいのかい?」
「うん!本で見たことと同じなのか、確かめてみたいんです!」
「それなら、連れて行ってあげよう。地獄に行っても地獄行きにはならないから、それは安心してくれ。ほんの少しだけだよ?いいね?」
ということで、おじさんの変わったたまご型カプセルに乗って、私の地獄見学はスタートすることになりました。
地獄見学
地獄に向かう道中、おじさんは私が不安にならないように学校の話や、友だちの話、今は何が好きで何をしている時が楽しいのかも聞いてくれました。
しかし、私には友だちがいなかったので「友だちはね、1人もいないんだ・・・」と答えると、「そうかぁ・・・。それは悪いことを聞いちゃったね。でもきっとこの先では良いことが沢山待っているよ」と励ましてくれました。
なんとも言えない絶妙に気まずい雰囲気になりながらも、おじさんと私を乗せたカプセルは、どんどん雲をくぐって下の方へと降りていきました。
そうこうしている間に、景色は真っ暗な闇へと変わり、なんだか蒸し暑いような屋内プールにいるような、なんとも言えない湿度と匂いを感じながら、さらに下の方まで降りていきました。
気がつけば辺りは漆黒の闇に包まれていて、自分がどのような場所で、どんな状況になっているかも把握することができません。
おじさんがいる気配すらも感じることが難しいくらい、全ての光が遮断された、そんなような場所でした。
「お嬢ちゃん着いたよ。ここが、有名な『血の池』地獄だ」
「え・・・!?何も見えないよ」
「まぁ、そのうち分かるさ」その言葉を合図に、カプセルは浮遊した状態で止まりました。
すると、どこからかドボンという音と共に、チャプンチャプンとこちらに近づいてくるような音が聞こえてきました。
なんとも言えない、静けさの中にあるのは水の中で何かが流れている音と気配、それだけでした。
何度も何度も繰り返されるドボンという音とチャプンという水のような音を聞くだけで、全身がゾワっとしてしまうほど、言葉では言い表せない恐怖が植え付けられていくような感覚がありました。
それでも(せっかく来たんだから、本と同じことが起きているのかどうかを確かめたい!)と思い、目を凝らしながら辺りを見渡し続けました。
すると下から急に、ピンク、青、黄色、緑、赤、紫などの鮮やかな色で水のようなものを照らし始めたのです。
もしも例えるのなら、何一つ弾けていないナイトプールのような照明だったと思います。
「血の池」地獄で起きていたこととは
何一つ弾けていないナイトプールのような照明が、人らしき物を捉えることがあるのですが、その人の表情までは確認することができませんでした。
「おじさん、『血の池』地獄では何が起きているの?」
「ここではね、水じゃなくて血のプールみたいになってるんだよ。だけどね、このプールは普通のやつとは違って、泳げば泳ぐほど下に沈んでいくんだよ。だからほら、よくあそこを見てごらん?」
「・・・。あっ!!人がいる!(もしかしてあの人・・・さっきの)。でも、泳いでない。なんかじっとしてるみたい」
「そうだよ。沈まないように動かずにじっとしてるんだ。声を出しても動いても苦しくなるだけだからね。まぁ、そんなことして足掻いたところで、無駄なんだけどね・・・」と静かに語るおじさんの表情は、まるで全てを悟っているかのような、なんとも不気味な表情をしていました。
何度も繰り返される血の沈む音と、下品な照明に照らされた人たちを、何も言わずにただじっと見つめていました。
私は他のところも見てみたいと思いましたが、おじさんの妙に冷めた声と、不気味な表情を忘れることが出来ず、「もっと見たい!」とお願いすることは、やめることにしました。
おじさんとの別れ
どれくらい時間が経ったかは分かりませんが、これ以上何かを聞くことも見ることもないだろうと思い、おじさんに声をかけることにしました。
「おじさん、連れてきてくれてありがとう!もう地獄は大丈夫」
「そうか、楽しかったかい?」
「う〜ん。怖かったけど、本と違うことも知れたから」
「そうかそうか。それなら良かった。でも、二度と地獄に行きたいなんて言っちゃダメだよ?次は、大変なことになってしまうからね?おじさんと約束だ」
「わ、わかったよ!ありがとう。約束する」
そう言ったところで、私は勢いよく体を起こしたのです。
そこに広がっていたのは、分厚い雲でも長い長いエスカレーターでもなく、見慣れた寝室の光景でした。
そしてあの日以降、私は死後の世界に行ったことは一度もありません。
この話を大人になって夫にした時、「死後の世界は、その人が1番わかりやすい姿になって現れたり、見えたりするって何かの本で読んだことがあるよ」と言われました。
当時の私は空手を習っていたのですが、道場が死後の世界との中継場所になっていたのは、状況を理解させやすいようにするためだったのかもしれません。
大人になった今では、天国や地獄を信じるかと聞かれれば、「分からない」と答えるでしょう。
ただ当時の私は、この夢以外にも不思議な体験をすることが何度もありました。
心霊現象や、幽体離脱、進み続ける夢に、予知夢、そして人の死期や別れが分かる感覚など、あげたらキリがないほどの経験をしてきました。
そしてその中でも、進み続ける夢と、人の死期や別れが分かる感覚だけは、今もうっすら残っています。
それらの全てが、あの悪夢を見たことがきっかけでした。また、当時私が住んでいたマンションは、霊道というものの上に建てられていたらしいのです。そして何よりも、あの頃の私がとても寂しい人間だったということ自体が、奇妙な現象や体験を呼び寄せていたのかもしれません。
それはあくまで、後付けで思ったことなのですが・・・。
もしも、私に死が訪れた時、「天」「七」「地」のどの漢字を見ることになるのかを、今では少しだけ楽しみにしています。
幼い頃の私が、本当に死後の世界に行っていたかどうかの確認をするためにも・・・。
〜完〜
ナイーブな私に勇気をください
うーむ、興味深い内容。
大人になるに従って、悪いことや道理を外したことを誰しもがしてしまうと思うんです。
だから子供のうちに天国に行ってしまった方が良いのかなと思う反面、何かを学ぶ為に前世の自分が今の親を選んで産まれてきたのだから人生を通して、間違えてもいいから生き抜いてやり抜かないとってゆう反面もあり、難しいですね。
失敗があるからこそ学ぶ、学びをどう生かすかはその人次第ですけど、この世に産まれた人は誰しもが課題を背負って生まれてきたのだと僕は考えてます。
読んでくださりありがとうございます。
子どもの頃は天国と地獄という言葉だけで、得体の知れない恐怖にかられていました。けれども死後の世界を見て以来、不安や恐怖はすーっと体を通り抜けていくような感覚があったんですよね。
私には霊感があるわけでも、特殊な能力を持っているわけでもありませんが、説明のできない体験の数々は、何かしら生きる意味を教えようとしてくれていたのかも知れません。
モトさんの言うように「この世に生まれた人は、誰しもが課題を背負って生まれてきた」という言葉も、きっと子どもの頃の私に分かりやすく夢という形で写し出して見せてくれていたのかもしれません。