リクエスト企画「多様性、LGBTQ +」

コラボ企画

今回のリクエストは、「多様性、LGBTQ +」についてです。

何度かエッセイでは書かせていただいていますが、こうして書くことで色々な人に読んでもらえる機会になっていること、本当に嬉しく思います。

まだまだ多様性が一人歩きしているような時代ではありますが、マイノリティ(少数派)もマジョリティ(多数派)も、お互いに歩み寄りながら生きやすい世の中になることを願い、書いていこうと思います。

それでは、スタートです!

そこじゃない感

ワタシはニュースやSNSなどを見ると、度々「そこじゃない感」に出くわすことがあります。

LGBTQ +が歪んだ形で誤解されやすくなっているところも、多様性が一人歩きしているところも、まさにこの「そこじゃない感」が大きく関係していると思っているんです。

少し前に、LGBTQ +理解増進法案が可決した時にも、同じことを思ったんです。

当事者の言葉を拾い上げたようなフリをして、勝手に作り出された法令は、逆に当事者たちの生きづらさを助長させることになりました。

さらには、「女性の権利を守る!」と掲げる団体が発足されたりと、まるでLGBTQ +VS多数派というなんとも悲しい、望んでない対立までもが生まれてしまうこともありました。

誰も戦いたいわけでもなければ、LGBTQ+の人間だけが住みやすい世の中にしてくれ!」と言っているわけでもないはずなのに・・・。

本当の目的はどこにあるの?

この法令が可決されてから次に始まったのは、トランスジェンダーの境目や、トイレやお風呂問題でした。

ワタシは体は女性であり、心が完全に男性というわけではありません。だから、日常生活では、トイレは女性専用トイレに入るし、お風呂は共同のお風呂が苦手なので入りに行くことはしません。

見た目も心も女性として変わっているのなら、入ることは問題ないと思います。

ただ、その人の心の中までは他人が知ることはできないんです。「僕は見た目は女性だけど、心は男性だから」「私は見た目は男性だけど、心は女性だから」と言って、見た目とは違うトイレやお風呂に入ってきたら、周りの人は驚くどころか不信感を感じ、時には恐怖心を抱くこともあるでしょう。

どうしても我慢しなければいけない境界線ができてしまうのは、仕方がないことだと思うんです。

これはきっと、差別ではなく、区別だと思うから。

その境界線を超えて、自分の感情だけで動いてしまう人がいるから、また同じように言われてしまうんです。

「だから、LGBTQ +は・・・」って。

平等にするべきものを考えて

けれども恋愛や結婚に関しては、どんな人でも自由なはずです。

時代と共に恋愛の仕方も結婚のあり方も、もちろん変化しています。

許嫁がいた時代や、親が決めた相手と結婚することが当たり前だった時代がありました。

お金のために結婚する政略結婚があり、少しずつお見合い結婚が当たり前になって、さらに自由に自分の相手を選べる時代へと今は変化しています。

「多様性の世の中へ」と大きな声を掲げているのなら、どうして結婚のあり方はいつまでも多様にならないのでしょうか。

好きになった人が、たまたま同姓だった。

心から愛した人が、トランスジェンダーだった。

それが誰かに迷惑をかけることになるのでしょうか。ただ好きな人と夫婦になって、同じように家庭を持って、幸せに暮らしたい。

そう思っているだけなのに、どうして今も認められることがこんなに難しいのでしょうか。

話し合うことは、トイレやお風呂の問題じゃない。

ただ純粋に、性別関係なく愛した相手と夫婦になれることを認められる社会にしていくことが、一番考えなければいけないことだと、ワタシは思います。

理解ではなく、お互いに知っていく

どんな場面でも、「ワタシのことを理解して!」と言って理解してもらうことは、とても難しいことだと思います。

その人のことを知り、お互いに言葉を重ねながら、少しずつ理解へとつながっていくと思うんです。

当事者にしかわからない苦しみがあります。

多様性と呼ばれているのは、何もLGBTQ+に限ったことではありません。国籍、肌の色、障害、そしてマイノリティ。あらゆる場面で多様性というものが存在しますが、実際に当事者でなければ、全ての気持ちを理解することも、真の辛さをわかることもできません。

だからこそ、互いに想像し合うことが必要だと思うんです。

「自分はこれだけ辛いんだ!どうして理解されないんだ」と思うのではなく、相手に知ってもらうには、どうしたらいいかを考えなければならないことがたくさんある。

反対に「当事者じゃないから、わからない」と突き放すのではなく、「どういう気持ちなんだろう。もしも自分だったら・・・」と想像することがお互いに必要だと思うのです。

多様性という言葉が多く使われるようになったからこそ、ただの言葉で済まされてはいけないことがどんどん増えているような気がします。

この世界は、あらゆる人たちと共に暮らしてる場所だからこそ、ほんの少しでも知ろうとすることが、これからの世の中に生きやすさをもたらしてくれる鍵になるのかもしれません。

ほんの少し、たった一歩でも歩み寄る気持ちが互いにあれば、きっと分かり合える日が来るはずだから・・・。

 

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    多様性、を読んで

     以前何かのエッセイで『多様性』を調べましたので、今回は···
    相手の立場になることはできませんが、コミュニケーションを通じて近づくことは可能性ですね。理解し、共生する社会になることを欲します。ありがとうございます。
     

    • いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      「多様性」という言葉が一人歩きしているような気がする世の中ですが、それでもいまだに悩んでいる人もいれば、多様性の中に入れずに苦しんでいる方がいるのを見かけます。
      誰だって自由に表現していいはずなのに、表現の仕方を間違った人たちのせいで悲しい現実が立ちはだかることも多く見られます。
      全てが平等になっていくことはやっぱり難しいですが、少しでも互いに尊重し合い、寄り添える環境になることを心から願っています。

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