シリアルキラーに興味を抱いて

コラボ企画

今回は、私の夫である西川真周ことましゅぴから、リクエストをいただきました(笑)。

実は私は、家で夫のことをましゅぴと呼んでいます。付き合いたての頃、歌手活動名が「Mashutify(マシュティファイ)でした。しかし、私はティファイの部分がどうも言えずに、ピパイと言い間違えていました。そこから面倒になったので、ましゅピパイからパイを取ってましゅぴになったのです。

さて、前置きはこのくらいにして、実は、私は本を読むことがものすごく苦手です。

だから今までの人生で、読書というものをほとんどしてきませんでした。作者の心情を読み取ったり、背景を重ねたりすることもあまり得意ではなく、活字だらけの本は、興味がなければないほど目が回ってしまいそうになるんです。

だから今まで、なるべく読書をせずにここまできてしまったのですが・・・。

「物書きをしているのに、本が読めないのもなぁ」と思ったある日、私は運命の本と出会ってしまうのです。

それが取材形式で書かれた事件本でした。

昔から、凶悪事件やシリアルキラー、昭和の事件史などには興味があり、テレビなどで放送される時には、録画をして必ずと言っていいほど欠かさず見ていました。

大人になってからは、YouTubeの考察動画や事件を取り扱ったものなどを見ていたのですが、本を手に取り読んでみると、本嫌いが嘘のように次から次へと読み進めていくことができたのです。

そのせいでましゅぴ自身も、私に付き合わされて事件系などの動画を一緒に見ることが増えていきました。

そこで今回は、私がなぜシリアルキラーに興味を持ったのか、そして元保育士だからこその観点を交えながら書いていこうと思います。

それでは、スタートです。

凶悪事件と幼少期

数々のシリアルキラーの動画や本に触れてきましたが、その中でもポイントになるのが、幼少期の頃に受けていた虐待や、家庭環境が影響することです。

例えば有名なシリアルキラーである、ヘンリー・リー・ルーカス

彼の母親は、女の子を欲しがっていたそうですが、生まれてきたのが男の子であったことに絶望し、ヘンリーのありとあらゆるものを目の前から奪うようになりました。

特に1番印象的だったのは、ラバが欲しいというヘンリーにラバを飼ってあげるのですが、ヘンリーが愛情を持って育てているということを知っておきながら、目の前で無惨にもラバを射殺してしまうのです。

母親からの愛情を受けられず、大切なものを目の前で奪われる。それがヘンリーの家庭では当たり前のように行われていたそうです。

また代表的なシリアルキラーの1人、エド・ゲインの母親は、偏った思想の持ち主であり、自分以外の女性は全て邪悪な存在だと教えていたそうです。その他にも禁止行為や思想を押し付ける行為を続け、エドにとって母親は絶対的な存在であり、そして異常なまでに依存する対象でもあったそうです。

決して全てのシリアルキラーが虐待を受けていたわけではないけれど、事件を起こす背景には、こういった虐待や暴力、そして家庭環境が大きく関わっていたことを知りました。

生まれながらにサイコパスと呼ばれる人もごく稀にいるかもしれない。

けれども、こうした凶悪犯罪の裏には1番愛して欲しかった人に、愛されずに過ごしてきた悲しい体験も大きく関係するのだと思うのです。

関わり方を考えて

シリアルキラー事件の他に、「ケーキの切れない非行少年たち」という漫画を読んで、とても考えさせられたことがあります。

非行少年たちの中には、家庭環境が悪く、両親に虐待をされたり、ネグレクトを受けていたり、居場所がなくて自分の生きる場所を探し求めている姿も描かれていました。

その中には、発達障害の子たちについても描かれていました。

「ケーキの切れない非行少年たち」というタイトルには、ただケーキが切れないのではなく、「三等分にしてください」という意味が理解できないということにフォーカスを当てていました。

紙には大きな丸が一つ書かれており、非行少年たちは紙を見ながら三等分にしようとしていましたが、どうしたら三等分になるのか、どうやったら分けることが出来るのかが理解できていませんでした。

その中には、軽度の発達障害の子やグレーゾーンと呼ばれる子の描写まで書かれていました。

自分の頭の中ではどうすることもできないもどかしさ、そして生きづらいと思っていても、うまく伝えることができずに、社会から孤立してしまうこと、そして善悪の判断がつかず、悪の道へと引っ張られてしまう現実なども描かれていました。

その背景には、家族の協力がなかったり、発達障害ということを受け止め切れずに、子どものSOSに気づかないふりをしていることも、背景の一つとして挙げられていたのです。

負の連鎖

私も現役の保育士として働いていた頃で、発達障害のお子さんやグレーと呼ばれるお子さんと関わる機会がありました。

家庭の中で一生懸命子供と向き合う保護者の方もいれば、中々受け入れられずに、悩んでいる方もいらっしゃいました。

けれども、それが悪いというわけではなく、保護者の方もどうしていいのかが分からずに、「助けて欲しい」と言うことが難しくて、考え方も閉鎖的になってしまう事例も過去にはありました。

けれども、気持ちに寄り添うことは出来ても、やれることには限りがあって、当時はもどかしくて、私自身も悩み続けていました。

どこまで伝えたらいいのか、どんな支援をすれば子どもたちが少しでも楽しく過ごせるのか、その答えは今でも正直わかりません。

けれども、シリアルキラーのように家庭環境が悪くて、愛情不足でということはなく、それぞれの保護者の方々は、必死に自分のお子さんと向き合おうとしていました。

シリアルキラーの母親もまた、負の連鎖の被害者でもありました。そして、今まさに虐待やネグレクトなどのニュースを見ていても、過去の自分がされたことを、今度は我が子にすることで事件に繋がってしまうことも目にします。

幼い頃に受けた傷は、どれだけの力を持ってしても拭い切れないものがある。そして愛されたことのない子どもたちは、目の前にいるものを愛する方法が分からないまま大人になってしまうのかもしれません。

興味を持ったきっかけ

元々シリアルキラーや事件には興味がありました。けれども、大人になり保育士をしている間は、乳幼児期における大人の関わりがどれだけ大切なことかを考える機会としても本や動画を見ていました。

悲しいことに、全ての子どもたちが両親に愛されて、幸せに暮らしているわけではありません。

虐待のニュースがあとを絶たないのも、きっと負の連鎖があったり、別の背景があったりすることも否定はできないでしょう。

今すぐ根絶することは、難しいかもしれません。

子どもだって親だって人間だから・・・。

感情的になることもあれば、1人になりたい時もあると思います。怒りたい時だって泣きたい時だってある、それが人間なんです。

シリアルキラーたちは、その感情さえも忘れて、自分の快楽と欲望のままに命を奪うことで自分自身の存在価値を確かめている人ばかりでした。

子どもたちにとって大人という存在は、絶対的に思えてしまうことがあるということだけは、忘れてはいけないことなのかもしれません。

同じ人としての繋がりを

保育士をしている頃、たった一つだけ大切にしていたことがありました。

それが「年齢に関係なく、1人の人間として関わり尊重する」ことでした。

大人は沢山の経験を積み、子どもたちよりも知っていることもあれば、物事の善悪もつきます。だからと言って「子どもだから」という考え方は、絶対にしないようにしていました。

どれだけ年齢が離れていても、子どもたち自身も色々なことを吸収して考えて、学んでいます。

1人の人として接した先には、互いに認め合うことができたんです。

大人になってから忘れてしまっていた気持ちだったり、考え方だったり。

純粋な彼らだからこそ、私は多くのことを学びました。

意地を張らずにたった一言、声をかけるだけで見え方が違うことも教えてもらえたんだと思います。

最後に

これまで数々の子どもたちと接してきましたが、最近特に、保育士の虐待の話や、不適切保育についても取り上げられることが増えています。

しかし、中には「本当に不適切なんだろうか」とか「全ての保育士がやっているように報道されていて悲しい」と思うような出来事が増えてしまいました。

虐待を肯定するつもりは、もちろんありません。

けれども不適切保育と呼ばれるものの中には、現場の状況をまるで理解していないことや、善悪が分からなくなってしまうような項目さえもありました。

これは私の完全なる個人の意見になってしまいますが、保育士も人間なんです。そして子どもたちにも、伝えないといけないことは、伝えないといけないと思うのです。

怒鳴り散らすことは間違っている、けれども真剣な顔をして伝えることは間違っていますか?

昔のように地域全体で子育てをする時代ではなくなってしまいました。だからこそ、保育士たちが大切なお子さんを預かっている間、命を守っている間は、一緒に育てているつもりで接しています。

どんどん孤立していく社会の中で、正しいことと間違ったことを理解し、考える力は、なくてはならないことだと思うのです。

そして日頃から、関わりを持って信頼関係を作ることができたなら、きっと悲しい事件は少なからず減っていくのではないでしょうか。

シリアルキラーのような、壮絶な生い立ちの人は滅多にいないけれど、時代の移り変わりを感じながら、愛情に飢えている子どもたちを見るたびに、やるせ無い気持ちになるのです。

たった一言「助けて」と言える環境がそこにあったら。

ほんの少しでも「愛情を分け与える」ことができたなら。

少しずつ歪み始めている現代に、希望が持てる未来がこの先待っていることを、私は心から願っています。

過去の恐ろしい事件やシリアルキラーのように、人が人で無くなってしまわないように・・・。

 

ナイーブな私に勇気をください

  1. モト より:

    サイコパス、シリアルキラーものは僕も好きでよく読んだり観たりします。
    確かに幼少期の経験や体験からなりうる可能性はあると思います。全員がなるかと言われたらそうでもない、やはり環境がそうさせるんでしょうか。
    他人とどこまで関わっていいものか、今のご時世難しいもんです。
    納言さんが言うように、子供でも1人の人間として尊重する。そんな考えの方が増えると良いですけど、自分ごとになった時に自分の子供にそんな風に接することができるかは不安です。
    ただ人を、子供を尊重して敬意をはらう人間にはなっていきたいものです。

    • オリエンタル納言 オリエンタル納言 より:

      いつも読んでくださり、ありがとうございます。
      全ての人がなるわけではないけれど、環境や関わる人の影響はとても大きいような気がします。そして、今のご時世では、間違ったことをしていたとしても「それは危ないよ?」と注意した人が、命の危険に晒されてしまうケースもあり、見ず知らずの子どもたちに関わる難しさを感じざるを得ません。
      自由と身勝手を履き違えてしまわないように、これからも大人がきちんと伝えていける環境になることが1番ですよね。
      難しくなってきている世の中だからこそ、きちんと考えられる大人の一人でありたいです。

タイトルとURLをコピーしました