ワタシが保育士を辞めて、もうすぐ2年が経とうとしています。
とても長く辛い環境の中にいたせいで、心身ともに疲れてしまったあの頃、仕事を辞めた罪悪感よりも、ようやく悪夢が終わることへの安心感の方が強く感じていました。
けれども「子どもたちに会いたい。もう一度関わりたい」と願う気持ちが、日増しに強くなっていきました。
そのせいで彼とは何度も喧嘩をしたり、時にはどうしようもない感情をぶつけて傷つけてしまうこともありました。
社会の中で生きている人たちに置き去りにされているように感じて、いつまで経っても仕事の一つもできない自分をたくさん責めました。
そうすることでしか、自分を保つ方法がわからなかったのです。
久しぶりの再会は
あるとき、ワタシは昔から行き慣れたスーパーに別れを告げるために、用事もないのに向かっていました。
小学生の頃から行き慣れたスーパーが、全く新しいもの変わることを知ったからです。
無くなる1ヶ月前からほぼ毎週のように足を運び、思い出を忘れないように記憶にも、そして写真にも残すようにしていました。
閉店する当日、ワタシは最後の別れをするためにもう一度スーパーに足を運びました。
するとそこで、かつての教え子である男の子が「なごんせいせい!」と声をかけてきたのです。
驚いて「えっ!?ちーくん?まさか会えるなんて思わなかったよ」と嬉しくなって、すぐに近寄りました。
ちーくんは照れくさそうに、そして嬉しさを爆発させてくれたかのように学校での話をたくさんしてくれました。
誕生日の約束を
ひとしきり話を聞いた後、ワタシはあることを彼に話しました。
「ちーくん覚えてる?保育園にいた頃、『納言先生の誕生日を毎年お祝いするね』って言ってくれたこと」
「うん。おぼえてるよ」
「もうすぐ先生、誕生日なんだよ。今年はお祝いしてくれる?」
そう冗談混じりに言ってみたのです。
するとちーくんは少しだけ考えて、「なにがほしいの?」と聞いてくれたり、「これをあげようかな」とも言ってくれました。
そこで、「納言先生は水色が好きだから、夢が叶うお守りを水色で作って欲しいな」と図々しくお願いをしてみることにしました。
「みずいろかぁ。じゃあママといっしょにつくってみる」と張り切って答えてくれたのです。
そういえば昔一緒にクラスで過ごしていた頃は、毎日のように「もうすぐなごんせんせいのたんじょうびだね」とカウントダウンしてくれたことを思い出しました。
約束を果たして
それから程なくして、お母さんから「納言先生、誕生日プレゼントが完成したので、また時間がある時にもらってあげてください」と連絡がありました。
そして日にちを決めて、会うことになったのです。
「せんせい、はい。おたんじょうびおめでとう」そう言って渡された茶色の封筒には、ワタシの好きな色で作られたお守りが二つ入っていました。
キラキラ光って見えるビーズたちは、どんなお守りよりも美しく輝いて見えました。
一生懸命作ったであろう痕跡が所々見えているところも、昔を思い出し、そして感動で涙が溢れてしまいそうでした。
ちーくん自身はさっぱりとした性格なので、渡した後は別の話に夢中になり、自分の宝ものである本をいっぱい見せてくれました。
肌身離さず持ち歩いて
久しぶりに会話をしたことも、いろいろな話を聞けたことも、昔一緒に過ごした記憶を思い出させてくれて、すごく幸せな時間となりました。
ちーくんからもらった二つのお守りの一つはミサンガとして足につけ、もう一つのお守りは携帯につけました。
キラキラ光るビーズで作られたお守りは、まるでワタシの夢を応援してくれるように、今でも輝いてくれています。
そしてお別れの時に、「また来年も作ってくれる?」と聞いてみると、「うん!いいよ」と返事をしてくれました。
さっぱりしているけれど、約束を守り続けてくれた彼はきっと、来年も誕生日を祝ってくれるでしょう。
「せんせい」と呼ばれて
保育士を辞めてからも色々なところで子どもたちと再会したり、こうして関わる機会が何度かあります。
その度に「なごんせんせい」と呼ばれ、かつての保育士時代を思い出させてくれるんです。
ワタシは人間関係に苦しみ、心を壊し、そして仕事を辞めました。
けれども、子どもたちのことを忘れたことは一度もありません。
それは子どもたちだけではなく、保護者の方にも沢山支えてもらいました。今もこうして、時折「せんせい」になれるのは、その人たちの支えがあるからだと思っています。
きっとこの先は、担任としてクラスを持ったり、保育園や幼稚園で働く機会はないと思います。
けれども彼らがくれたたくさんの幸せをまた別の形で発信し続けることで、保育士としての日々を忘れないようにしていきたいと思っています。
最後に
ワタシにとって保育士は、全ての人生を捧げてもいいと思うほど、大切なものでした。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、それほどまでに誇りを持って、そして子どもたちには全ての愛情を注いで仕事と向き合ってきました。
きっとワタシと同じような気持ちで今でも子どもたちと向き合い仕事をされている方も、多くいると思います。
ワタシは最後まで保育士として過ごすことは、できませんでした。
けれども、今でも気持ちは変わっていません。
大好きなあの子たちの先生でいることも、変わっていません。
いつかまた違う形で子どもたちに、そして保護者の方々に恩返しができる日々を願っています。
最後に、保育士という仕事は本当に素晴らしい仕事だと思います。
けれどもいまだに改善されない環境だったり、当たり前のことが当たり前にならない労働環境も多く存在します。
子どもたちの未来のために必死で働かれている保育士さんが、心から笑顔で、子どもたちのことだけを考えて保育ができる環境になることを、心から願っています。
子どもたちの笑顔と同じくらい、保育士が笑って過ごせる環境が当たり前になりますように。
ナイーブな私に勇気をください
『せんせい』と···を読んで
保育園や幼稚園で働く機会はない
保育士は、全ての人生を捧げてもいい
今も気持ちは変わっていない
文章全体を考えながら感想を書くのは、大変難しいので、内容からピックアップしたり、内容を簡素化すれば要点がわかり書きやすくなると考えています。前段で文中の言葉を記入する理由です。
私は意識を外部観察機能の集合体と考えています。ユングが提唱した集合的無意識ではありません。
集合体である意識が導いた解なので、相反する二つ以上の解が存在しても不思議には思いません。(私的な解釈なので、他の考えを否定するものではありません)
もう働く機会がないと考えるのも納言さんであり、人生を捧げてもいいと考えるのもしかり、気持ちが変わっていないのもしかりでしょう。
吹っ切れないものがあるように見えますが、決してそうではないと考えます。二つ以上の解が導かれるような、辛いこと·幸せなことがあったのは、納言さんのエッセイから計り知れます。
心から笑顔で子供のことだけを考えて保育できる労働環境になることを、願います。
ありがとうございます。