大きな戦いを終えて、私はある感情が芽生えていました。
完成したと同時に達成感と解放感を感じました。約1ヶ月もの戦いはようやく終わりを迎えて、「ちょっと休憩でもしようかな」そんな風に思えばいいものを、またもやネガティブさんを登場させてしまうような気持ちになっていたんです。
心の中でざわざわとする不安感や、自信の無さは、いつだってふとした瞬間に訪れてくるのです。
終わりを迎えた頃に
「すごいじゃないか!お前さんが頑張る姿に多くの人たちが『頑張れよ』『よくやった』なんて言ってくれるなんて。なかなかないぞ!」とタバコをプカプカふかせながら語りかけてきたのです。
「なんだ・・・また出てきたの?私はもう、不安で仕方がないよ・・・」
「ほぇ?な、なんでそんなに不安がってるんだよ。作家はネガティブな人が多いっていうアレか?感傷に浸ってる場合じゃないだろ?」
「そんなこと言っても・・・。私は本も読めないし、文章技術もないんだよ。それなのにきっともっとすごい人たちはたくさんい・・・」
「もう!やろよ!俺はネガティブさんって名前だけど、お前にその名前を譲りたくなるような気持ちの沈み方は。俺のポジション取るなよ!どうして自信がないんだよ。あれだけの長編を書いといて、あれだけ人生賭けたのに」
「そうだけど・・・」
ネガティブさんに叱られて
「俺はお前さんの小さい頃から知ってるよ。昔は自信に満ち溢れて、空手をやっていた時なんて『メダルを取ってくる』って言ったら、宣言通りとったじゃないか!それなのに、思春期を迎えたあたりからどんどん暗くなりやがって。お前さんは甘えてるんだよ。俺にも、周りにも」
「・・・どういうこと?」
「だってそうだろ?誰かが励ましてくれる。誰かが応援してくれる。そうやって優しさに甘えて、ずっとネガティブに逃げてるんだよ!」
「・・・それは・・・」
「違うっていうのかい?図星だろ。自信っていうものはな、誰かに与えてもらうんじゃない。自分で作り出していくもんなんだよ。自転車に乗る時だって乗るのは自分だろ?その手助けをするのが補助輪だ。その補助輪を外して、何度も転んで乗れるようになるのは自分にしかできないんだよ。それをお前さんは、自転車にも乗ろうとしないで、『あーでもない、こーでもない』って言ってるんだ。ちゃんと補助輪がついてる自転車を用意されてるのに。あとは自分が乗るだけなのに」
「・・・」
「ほらなっ。何を言えないだろ。誰だって自信があるわけじゃない。けどな、それでも何度でも言い聞かせるんだよ。『自分なら大丈夫。自分ならできるんだ』って。そうやって踏ん張って、時には転んで、立ち上がって、ひたすら向き合っていくんだよ。そんなこともわからん奴に、誰が手を差し伸べると思うんだよ。いい加減に自分で漕いでみろよ。周りの声援を無駄にするな。周りの声に耳を塞ぐなよ」
そう熱く語るネガティブさんの言葉を、真剣に聞いている私の目からは涙が溢れていたんです。
「・・・わかってるよ。でも、怖いんだ。このままずっと何者にもなれないような気がして。夢も終わってしまうような気がして」そう伝えたんです。
「怖くない奴なんていないんだ。誰だって何かに対して不安を感じて、時には孤独に押しつぶされようになる。それでも前を向こうとするんだ。それはなぜだかわかるかい?」
「なんでだろう」
「手を差し伸べて、言葉をかけてくれる人がたった一人でもいるからだよ。それがまさに『補助輪』的な役割をしているんだ。お前さんも孤独の辛さは嫌というほど味わってきただろ?でも今はどうだ。あれだけ多くの人に声をかけてもらってるじゃないか。お前さんに会ったこともない人たちでさえ『勇気をもらいました』って言ってくれてるんだぞ。そんな人生に俺はなってみたかったよ」
「ネガティブさんはそうじゃないの?」
「あぁ、俺は違うさ。悲しい感情を具現化したお前の想像の中のものなんだから。だから羨ましいよ。そうやっていろんな人に声をかけてもらってるお前さんが。いいかい?人はな、自分でしか人生の行方は決められないんだ。だったら、もっと楽しく、もっと未来に希望を抱いて生きるんだ。そろそろ漕ぎ始めるんだ。自分の足で、周りに支えてもらいながらでいいから」
「・・・わかった」
補助輪を外すまで
感謝を伝えようとした時、もうネガティブさんはいなくなっていました。
確かに私は、自分に甘えていたのかもしれません。自信を持つことにとても臆病になっていたのかもしれません。
成功体験よりも、失敗した過去のことの方がどうしても心に残り、それがいつしか重荷になっていたから。
ネガティブさんは消える前に、私にこう伝えていきました。「自信を持つことは、人生を豊かにすることだ。何も調子に乗れなんて言ってない。ただ自分を信じて、ペダルを思い切り踏んでみることだ。そうすればきっと、乗れるようになるさ。そして信じて応援してくれる人たちに、応えるためにもな」と。
名前の割にいつも心を軽やかにしてくれる彼は、落ち込んだ時にいつも隣に座って、足を崩しながら大好きなタバコを咥えて語りかけるのです。
「さて、ブログでも更新してみようかな」そんな気持ちを持った私は、自信を持つために、今日も机に向かいます。
ナイーブな私に勇気をください
ネガティブさんを読んで
こんにちはネガティブさん(笑)
自信がない···
展望台など高所に登り下界を見下ろすと、自分自身の存在が急に希薄になり恐怖を感じたり、また身体的に気分が悪くなったりします。
自信がないとは自分自身の存在感が希薄になること、なんて思ったりします。
子供で言うと保護者を見失ったりしてしまうと、急にそわそわし泣いたりするでしょう。また、保護者に抱かれている時は自信に満ち溢れた笑顔をしています。
人は愛されていると感じたら自信がでてくるのではないでしょうか。
納言さんは多くの方から色々な形で愛されています。
愛されていることにプレッシャーを感じて自己犠牲的な献身をしてしまえば『ダメンズ製造女子』と変わりありません。
もう夢に向かって歩いているのだから、無償の愛を味方に自信を持ちましょう。この前の作品を書き上げる前の皆さんの応援すなわち、それが無償の愛と思うから
追記 納言さんの文章の絞め方、マネしちゃいました(笑)私なりのユーモアと言うことで、失礼しました♂️
返信が遅くなって申し訳ありません。
こうしてネガティブさんが少しずつ認知されていることが、個人的にものすごく嬉しかったです。笑
そして最後の文章の締め方を読みなながら、「ワタシってこうやって書いてるんだ」と初めて気がついたような気がします。今回のTK1979さんからの感想は、色々な意味で気づかされました。
このコメントで一番胸に刺さった言葉は、「もう夢に向かっているのだから、無償の愛を味方に自信を持ちましょう」このフレーズでした。
少し立ち止まっていた部分から、また改めて背中を押してもらい、「ほら、行ってこい!もう心配することは、何もないじゃないか」と言われているようでした。
どんな形であれ、ワタシは支えられているんだなと教えてもらえました。
いつも勇気をくださり、本当にありがとうございます。