明日を見据えず、今を生きよう

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

29年間生きてきた中で、言われ続けた言葉がありました。

「未来を見据えて生きなさい」と。

その言葉はSNSの誰かの言葉であったり、たまたま見た本であったり、はたまた知らない誰かが話している言葉を聞いたり、あらゆるところで耳にしてきました。

未来を見据えろという言葉を。

でも私は、その言葉がとても不安定で一番未来を見据えていないようにしか思えないのです。むしろ、現実逃避をしているような気がしていたのです。

だからつい思ってしまいます。

未来ではなく本当に見なくてはいけないことは、今の自分自身ではないかということを。

将来に不安を感じて

私はニュースやSNSを見ると、すぐに不安になってしまう性格です。全く知らない人たちが政治の話をしたり、国同士で何が起きているのか議論をしたりする姿を目にするたびに、全身から恐怖が湧き上がり、どうしようもなく怖くなってしまうのです。

「私の将来は、未来は、一体どうなってしまうの?もしかしたら、戦争が起きてしまうかもしれない。今の生活を手放さなければならないかもしれない。私1人の将来なんて国が保障してくれるわけでも、両親が保障し続けてくれるわけでもなく、自分自身が守らなければいけないんだ」ということを痛感させられるからです。

いつしかニュースを避けるようになり、SNSも必要最低限の情報しか見ないようにしました。

けれども知らないということが、さらなる不安を襲い、恐怖を植え付けていくような気もしていました。

だからついつい無駄に表面上だけ調べたり、不安を煽られるような言葉を見ながら大きなため息をついて、「生きていくのが辛い」そんな極端な考えさえも生み出してしまうことがあります。

情報に左右されて

特にうつ病がひどかった時は、不安の波は突如やってきて、どんどん私自身を支配していきました。

目には見えない恐怖と闘い続けることは、当時の精神力では不可能に近かった。だからどんどん考え方や思想は偏っていき、色々な言葉に振り回されてしまうことも多くありました。

誰かの言葉に一喜一憂して、毎日がジェットコースターに乗っているような生活を送っていたような気がします。その姿を見ていた夫は、ある日私にこう言いました。

「未来に対しての不安があるのは僕も一緒だよ。お金持ちでもないし、給料だってそんなに良くない。でもね、未来のことは誰にも分からないんだ。遠い先のことを考えて縛られて生きることよりも、今の僕たちが楽しくのびのびと過ごすことが一番大切なんじゃないかな?」と。

その言葉を聞いて「そんなこと言っても、もしも戦争起こったら?お金が突然なくなったら?」と食い気味に聞いてしまいました。

「確かに戦争怖いよね。現に今も戦争や紛争、停戦をしている国はあるから。でもね、一番怖いことは、中途半端に知っていることなんだ。君は、戦争が起きていることは知っているけど、その背景や歴史のことは知らないよね?毎日流れる情報に左右されているけれど、それって全て事実なのかな?僕はそうじゃないと思うんだ。知らないことは不安だし、中途半端に知っていることはもっと不安になる。なら、ちゃんとした情報を知ろうとしてみたらどうかな?SNSの言葉じゃなくてね」

私はハッと気付かされたのです。怖くてあえて調べなかったことで、自分自身で余計に不安を煽っていたことに。

夫の言葉を聞いてから、表面上の情報に流され不安を感じるのではなく、正しい情報を知ることを始めるようになりました。

中途半端に根拠のない言葉を信じることをやめるために。

不安と不満は紙一重

あの日以来、私は少しずつではあるけれど、SNSの情報だけではなく、気になったことを自ら調べるようになりました。不安に思うことは夫と相談しながら、少しでも取り除けるように私自身も行動しようと模索しています。

それでも、未来に対しての不安が消えることはありません。

結婚した今、いつかは命を授かりたいと思っていても、将来への不安が勝り未だに子どもを育てる勇気も出ないままです。

ただ未来に対しての不安を取り除くために、今私自身がやらなければいけないことが何かを考えるようになりました。

漠然としたものを並べて不安がっていた過去とは、大きく心が変化しているいるような気がします。

かつての私なら、こんなことに不安を感じていたでしょう。

仕事を辞めて、また新たな場所で働けるのだろうか。

経済的な不安を抱えたまま、老後を迎えられるのだろうか。

もしも子どもができた時、我が子の将来はどうなっているのだろうか。

緊張状態にある国同士で戦争が始まり、日本も巻き込まれてしまうのだろうか。

どの不安も漠然としていて、解決方法も分からないものばかりでした。

明確な理由も取り除く方法も考えていないまま、結局は不安という名の不満を口にしていただけなのです。そして、不安という言葉を借りて、誰かに責任転嫁をしようとしていたのかもしれません。

仕事を辞めざるを得なかったのは、前の職場のせいだ。

もっと豊かな国だったら、もっと政治をきちんとしてくれたら生活は安定したのかもしれないのに。

今の現状でも子育てが難しいと言われているのに、自分の子どもが大人になった時の将来なんて、もっと不安定になりそうだな。

戦争なんて誰もしたくないのに、どうして争うことをしなければいけないの?もっと手を取り合って生きていく方法はないの?

そんな不満を不安という言葉に変えて、「誰か何とかしてよ」と責任のなすりつけ合いみたいなことをしていたのかもしれません。

今を生きることで、未来へと繋がる

私の夫はよく、「本当の意味を知らないことほど、怖いものはない。自分の目で見て、調べて納得して初めて不安は少しずつ希望に変わるんだ」と言います。

結局は、誰かの言葉を鵜呑みにしたまま過ごすことは、とても恐ろしくそして一番簡単な方法だと思うのです。

相手の言葉を信じた私を責めるのではなく、その言葉を言っていた人のせいにできるから・・・。

私の人生を幸せにするのも、不幸にするのも結局は、自分自身なのです。

未来に対して漠然とした不安や不満の理由を知ることで、今自分が何に不安を抱き、どうしたいのかを考え、答えを探すきっかけになると思えるようになりました。

そして模索している中で、未来に繋がるヒントや解決方法が隠されているのではないでしょうか。

この先の未来で起こるかもしれない、どうしようもない災害や争いは防ぐことはできません。

ただ、起きるかもしれない「もしも」のための準備は、今のうちからできるはずなのです。それが、結果的には未来の不安を取り除くことになるのではないでしょうか。

「未来を見据えず、今を生きる」というタイトルにしたのは、未来だけを見て現在を見ないのではなく、現在を見つめなおした先に、未来に希望が持てるように、様々なことから自分自身を守る必要があると思ったからです。

私のように日々の生活に不安を感じている人の方が、大勢いると思います。

だからこそ、今の自分に出来ることを考え向き合いながら、この先の未来への豊かさに繋がるようになればと思います。

人生を豊かにすることも、枯渇させることも自分次第です。

情報が溢れ、今まで知らなかったことまでも知れる世の中になったからこそ、正しさを判断し、言葉の本当の意味を理解することが、今を生きる私たちに大切なことだと私は思うのです。

 

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