空を見上げ、今を見つめず

オリエンタル納言日常日記

空を見つめると、「あぁ、もうすぐ秋がやってくる」と思わせるような、青空が広がっていました。

生活音を聞きながら誰かの声に耳を傾けて、朝が始まろうとしている。

少し前までは、一歩外に出た瞬間にうだるような暑さがやってきて、そしてカラッと乾いていた体は、ジトッとした汗をかく。

日差しの強さに負けそうになりながら、たまに外に出て空気を吸ってみるんです。

セミの声が少しだけ小さくなったように思うけれど、それでも暑さは変わりません。

ワタシはいつまで、今の状況と見つめ合わなければならないのか・・・。そう考えると、少しだけ体が冷えてしまうような気がしました。

現実の厳しさの前では

私たち夫婦は、世の中でいう貧困とまではいかないかもしれません。

市役所にお金の相談に行った時にも、「まだ大丈夫ですよ」と言われてしまうくらい、世間では貧困層には入らないらしい。

けれども裕福ってわけでもなく、お金のことになるとやたらシビアになることも、昔より増えたような気がするのです。

どれだけ頑張って節制しても、どうしようもない現実がそこにはありました。

あの日狂わされた、運命を

去年の11月末に、夫婦揃ってコロナに感染してしまったのです。

それ以降、夫はずっと咳をし続けています。

時には胸を押さえながら、「苦しいんだ」と酸素が薄くなっていくことに、まるで恐怖を感じているようでした。

病院を転々として、採血をして、後遺症外来にも行ったけれど、原因は一つも分からず、合っているかどうかも分からない薬を飲み続ける日々。

そしてワタシはワタシで、慢性的な頭痛のせいで動けないことが増え、とうとう月に一度の注射をすることが決まりました。

どれだけ頑張って抑えようとしても、私たちの元からお金は逃げていってしまうのです。

治療費という、目には見えない負担たちが、心も体も少しずつ壊していきました。

笑顔が薄らいでいく

夫はある日を境に、笑うことが少なくなってしまったような気がします。

それは、原因が分からない咳と治療費、そして体に大きな負担がかかっているからでしょう。

不安定になった心を、ワタシが支えてあげることができないんです。

だって、ワタシ自身も不安定の中に生きているから。

見つめないことで

あまりにも辛い時期が続きすぎて、喧嘩をすることも増えていきました。

そんな時、二人で手を繋ぎながら夜の道を散歩してみたんです。

たわいもない会話をしながら、ゆっくり、歩幅を合わせて。

その時に思ったんです。

今まで現実を見つめて、病気の原因も見つめて、それでも見つからない辛さが、もどかしさが、本当に苦しかったことに。

そして二人共がようやく気づいたんです。

全てを直視しようとするのではなく、少しだけ見つめないことも必要だって。

そして見つめたくない時には、全く違う景色を見てみようって。

それを教えてくれたのは、夜の散歩道でした。

体を秋風が通り過ぎていく心地よさ。

半袖だと少しだけ肌寒いけれど、それもまた心地よく感じる。

空が少しだけ高く感じ、星がキラキラと光る美しさに見惚れている時間。

それは心が一杯になっていた私たちには、決して見えなかったものでした。

深呼吸をしながら、二人で夜空を見つめた時、ようやく忙しさと、窮屈さから解放された気がしたのです。

「もう少し、ゆっくり進もうか」そう言ってくれた言葉を最後に、私たちはゆっくりとまた、歩き出しました。

ないものねだりは、隅っこに

ここ最近は、ないものねだりをしていることが本当に多かったです。

もっと元気だったら。

ちゃんと働ける体だったら。

もっとお金に余裕があったら。

そんなないものねだりをして、どうしようもできないことばかりを見つめて、心を追い詰めていたんです。

そしてその気持ちが伝染していくように、彼の心を疲れさせてしまったのかもしれません。

あらゆる景色を見ていたら、上ばかりがが目に入ってしまう。

欲しいものを買って、お金を気にせずに遊んで、好きなことを仕事にだってできる。

そうやって上を見続けたらキリがないんです。

そして、羨ましいという感情が芽生えてしまったら、人は負の感情に思い切り引っ張られてしまうと、改めて感じました。

今は辛い日々が続いているけれど、きっといつか、笑い話になると信じています。

だから私たちは、ないものねだりの心を、隅っこに置くことにしたんです。

やりたいことのために、今を見つめないように・・・。

 

ナイーブな私に勇気をください

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