非常にワタシは、後ろむき

オリエンタル納言日常日記

幼い頃は、「ワタシはなんだってできるんだ!」そう自信に満ち溢れていました。

どれだけ困難なことでも失敗を恐れずチャレンジをして、できなかった時にはその悔しさをバネに色々なことに挑戦しました。

頭の中では前向きな言葉が溢れるように浮かんで、「人生は常に楽しいことの連続なんだ」と確信していました。

けれども、今のワタシはかつてのワタシと比べると非常に後ろむきです。

前向きになる言葉を探してもうまく見つからず、心の中の本棚にはあらゆる後ろむきな言葉ばかりが載っている本しか見つからないのです。

いつから、そんなふうに臆病になってしまったのでしょう。

繰り返す挫折は

大人になる過程で、色々な挫折を経験しました。

勉強や運動から始まって、恋に仕事に、そして人間関係まで。

あらゆる分野で小さいものから大きいものまで、挫折をしました。

その度に、呪文みたいに言い続けてしまったのです。「ワタシは、何もできないダメなやつなんだ」と。

それがいつしか体にまとわりついて離れなくなり、前向きな言葉よりも先に後ろむきな言葉を並べるようになりました。

そしてどこかで失敗してしまった自分を、選択を間違ってしまった自分を、守るための言葉としても吐くようになったのです。

憧れのポジティブは

それでも何度も練習を試みました。

前向きになる言葉を本やネット、時には映画から探したこともありました。(どこかに、今の状況にあった言葉があるのかもしれない)そう血眼になって探してみたんです。

けれども、心に響く言葉はどこにもありませんでした。

前向きな言葉を発している人が、とてもキラキラと光って見えました。

すごく楽しそうで、幸せそうで、何より人生を謳歌しているように見えました。けれども、そんな人たちになれないことを知った時、またひどく落ち込んでしまうんです。

「どこでワタシは、間違ってしまったのだろう」そう思うしかありませんでした。

負の感情は悪なのか・・・

色々考えすぎた結果、もう随分と月日は流れ、立派とは言えないけれど大人になってしまいました。

しかし、ふと思ったんです。

どうして負の感情を抱くことが、全て悪だと感じているのだろうか。

前向きな言葉を吐いている人の全てが、本当に幸せなんだろうか。

そんなことを考えるようになりました。

その答えは、いまだにわかりません。

ただ、ある時から負の感情に蓋を閉めることをやめました。これはきっと、自分の気持ちを守るために、そして、自分自身を肯定するためにも大切な感情なんだということに気づいたからです。

悲しみの上に優しさが芽生える

ワタシは今まであらゆる感情を経験しました。その多くが負の感情です。

ただその感情を体験したからこそ、そしてどん底まで悲しさを味わってきたからこそ、同じような気持ちの人に出会えば、ほんの少しでも痛みを分かち合うことができます。

それは心の痛みを知っているからなんです。

目には見えない傷の深さも知っているからです。

もしも挫折や悲しみ、そして怒りさえも感じずに生きていたら、自分のことしか見えていない人間になっていたかもしれません。

多くのことを学ぶ中には、必ず負の感情も学ぶ機会がある。それは決して悪いことではなく、誰かに寄り添う大切さを学ぶチャンスであり、心の傷口に絆創膏を貼る方法を学ぶ機会でもあると思うんです。

だから今では、負の感情は決して悪いものではないと思っています。

誰かになろうとしないで

過去を振り返ると、常に心の中には「羨ましい」という感情があったかもしれません。自分にないものを持っている人を羨んで、その度に「どうしてワタシは・・・」と見えない刃物を自分自身に突きつけ、時には自らを傷つけることもありました。

ふとした瞬間に芽生える感情に抗うことはできませんが、それでも考えて考えた先に、「ワタシにしかできないことは、なんだろう。彼らにはなくて、自分だけにあるものはなんだろう」そう考えられるようになりました。

それはきっと、負の感情と長い間向き合ってきたからだと思うんです。

誰だって悲観的になることもあれば、誰かと比べて自暴自棄になることだってある。時には、漠然とした不安に押しつぶされそうになることもあるかもしれません。

そんな時、ワタシはあえてその気持ちを口に出して、向き合うことにしました。

誰かになろうとしている自分と向き合い、本当の自分を見つけ出せるまで。

弱音を吐いたって

ワタシはどんな弱音も吐いていいと思っています。無理やりポジティブにならなくてもいいとも思っています。

ただ、その感情を誰かにぶつけ、負の感情に巻き込むことだけは、やってはいけないと思ってるんです。

「ワタシはこんなに辛いから、あなたもこの気持ちをわかってよ!」そう思いだしたら、負の感情はあっという間にエゴへと変化してしまうから。

負の感情を出す時には、本当に信頼している人に弱音を吐き出してみることで新たな風が入り、凝り固まった考えが少しずつほぐされていくような気がするんです。

「自分は今こんな気持ちなんだ」とか「どうしていいかが、わからないんだ」そうやって素直な感情を出してみると、きっと色々な答えが返ってくるはずだから。

その答えを聞き、もう一度自分に問いかけたとき、本当の意味で心の中を知ることができるかもしれません。

そしてワタシ自身無理に自分を偽らず、ありのままの弱さごと愛してあげられる人になりたいと、ようやく思えるようになったのです。

負の感情は、心の叫びを知らせるサインだと思って。

ナイーブな私に勇気をください

  1. TK1979 より:

    非常に私は···を読んで

     人の心の内面は、見た目だけでは判断できないと考えます。例えば、悲しくて泣いているのにスマホで笑顔の絵文字が送れと同じと思います。
     私は『わたし』と言う存在は色々居てると考えています、内容については幾度かコメントしていますが今一度、
     わたし
     私も貴方も知ってるわたし
     貴方が知ってるわたし
     私が知ってるわたし
     私も知らないわたし
     その色々な『わたし』を受け入れると少し心が軽くなるような気がします。
     『わたし』を否定して、『本当のわたし』を探そうとすると、辛くなります。なぜなら、そんな『わたし』も居れば、こんな『わたし』もまた、私の知らない『わたし』に出会うと笑っちゃたりします。すべてにおいて、私は『わたし』であると考えます。
     納言さんの言葉、
    『ワタシ自身無理に自分を偽らず、ありのままの弱さごと愛してあげる人になりたい』
    感銘を受けました。
     ポジティブでもネガティブでも今日のワタシを受け入れ愛してあげましょう。ありがとうございます。

    追記 納言さん、大変『黒髪』お似合いですよ。失礼いましました。笑

    • 「悲しくて泣いているのに、スマホで笑顔の絵文字が送れる」この言葉、すごく共感しました。
      どれだけ辛くても、心は泣いていても、画面上だけは偽ることができるんですよね。
      けれど、その悲しみも、弱さも、そして偽る強さも全部含めて愛せる人間でありたいと、改めて感想を読みながら考える機会となりました。
      これからも、感情に左右されながら、時には翻弄しながらも自分自身を愛していくと決めて。

      そして黒髪を褒めてくださり、ありがとうございます!すっごく嬉しかったです

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