コンプレックスを抱きしめて

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

細く小さな瞳、黒目が上にあがってしまう目つきが嫌いでした。

二重で目が大きい人たちが、羨ましかった。

どうして、こんなに目が小さいのだろう。

どうして、睨んでいるような目つきになってしまうのだろう。

どうして、私は可愛いからかけ離れた存在なんだろう。

そんなことばかりを考えて、劣等感を抱きながら生きていたと思います。

外見至上主義の社会の中で

私が住んでいる所は、特に可愛らしい人が優遇される傾向にありました。学生の頃から、外見至上主義の社会を露骨に感じ、「お前は、可愛くない」とレッテルを貼られているようで、惨めな思いばかりしてきました。

モテている子は、目が大きくて、可愛らしくて、女性らしさを兼ね備えている人ばかりでした。

けれども、私はどの項目にも当てはまっておらず、細い目と男性寄りの顔立ちだったから、可愛らしさとは無縁の世界にいたような気がします。

そして外見至上主義の社会では、ただモテないという事実より、もっと残酷で悲しい現実があったのです。

品定めをされながら

それは高校生の頃、条件を満たしている子は、常に輪の中心にいました。彼女たちと楽しげに話している男子の顔は、まるで獲物を探しているように見えるほど、奇妙な様子でした。

なんとか可愛い子のそばに行きたい、気に入られたい、そんな人間の欲深さが現れているようにも感じました。

目の前で繰り広げられる光景を、一人の傍観者として見ていました。気に入られるように容姿を褒めている人、ジュースを奢りお金で振り向かせようとしている人、学生の頃からすでに、弱肉強食の奪い合いのような環境が繰り返されていました。

それだけなら私に被害が及ぶことも、傷つくこともありません。ただ、やり方を間違えた人たちは、気を引くためにあらゆる手段を使い、その道具にさせられたのが、私だったのです。

悲しみの過去

ある日、私は教室の隅の方に立っていました。なんとなく部屋の様子を眺めていました。

すると、数名の男子が私の横を通り過ぎながら言いました。

「遠くで見ても、近くで見てもブスだよな」

「男みたいな顔だからだろ」と。

いきなりのことに驚きはしたけれど、正直「またか・・・」という感情しかありませんでした。

昔から容姿について悪口を言われたり、否定されたりするのは慣れていました。そして、自分でも分かっていました。

男顔で可愛げがないことを。

言われたからといって反論することはせず、ただ黙って受け入れることしかできませんでした。

自分自身も性別や、心と体の不一致に悩んでいた頃だったので、反論したり、否定をすることも出来なかったのかもしれません。

常に持ち続けた想いは、いつしか劣等感に変わり、そして自己否定へと変化していくようになりなりました。

もしも、相談できる友人が一人でもいたら、考え方も生き方も変わっていたのかもしれません。しかし当時は、誰にも言えない気持ちを、常に心の中にしまい込んで、我慢をすることで、勝手に処理しているつもりになっていたのでしょう。

現れた救世主

劣等感を持ち続けながらあっという間に大人になってしまった私は、「自分は醜い」と思いながらも、どこかで「認めてほしい」と助けを求めていました。

20歳を超えたあたりから夜遊びを覚え、友人たちと仕事終わりや、休日にクラブに頻繁に出かけていました。

寂しさを埋めるために、私のような人間でも認めてくれる人を探すために。

そして、ついに現れたのです。

人生を大きく変えてくれた救世主が。

ある夜、いつものように友人とクラブに出かけました。若い男女が集まり、ナンパをしたり、一緒に踊ったりしている中、私たちはテーブルでジュースを飲んでいました。

すると二人組の男性が近づいて、その一人が私に話しかけてきました。正直面倒だったので、適当に話していると、ふと目が合い彼は「君って、一重?」と聞きました。

「そうだけど・・・。なんで?」と聞き返すと、彼はニコッと微笑んでこう言いました。

「君の一重は、とっても素敵だよ。三白眼で綺麗な形をしていて、どこか涼しげな目元。なんでアイプチなんかしてるの?勿体無いよ!カラコンもアイプチもやめた方がいい。こんなに素敵な目をしてるんだから、活かすべきだよ」と。

当時の私は、大きな目に綺麗な二重に憧れていました。服装もできるだけ女性らしさを意識していました。心の声を聞かずに、流行に合わせることで自分を保っていました。

そして、アイプチやカラコンをするようになってから、声をかけられたり、誉めてもらえることも増えるようになっていました。

だからこそ自分を変えて、周りに合わせることで青春を取り戻そうとしていたのかもしれません。

誰からも話しかけてもらえず、ブスと言われ続けた青春時代を捨てたかった。

けれども、クラブで出会った彼は違いました。

アイプチをしている私ではなく、一重の目を誉めてくれたのです。なぜ、私が一重だと気づいたのか、それはわかりませんが、もしかすると、熱気に包まれた会場で、アイプチが取れかかっていたのかもしれません。

どんな理由であれ、彼の一言は、私に大きな勇気をくれました。

ありのままでいることの大切さを、流行ではなく自分の魅力を認めることを、何より、コンプレックスを初めて「個性」として捉えられることが出来た瞬間でもありました。

本当の姿を愛して

たった一人の言葉に勇気をもらい、それからアイプチやカラコンをすることは無くなりました。けれども、物心ついた時からのコンプレックスを受け入れるには、相当の時間が必要でした。

自分自身のスタイルを見つけ、コンプレックスをようやく認められるようになったのは、つい最近のことなのです。

29年間の中で、子どもから大人になるまでの間、常に自分の顔を嫌い、自信がないまま生きてきました。存在を否定することはできても、肯定する言葉を知らなかったのです。

ただ、ようやく自分自身を受け入れ、コンプレックスも一つの「個性」と捉えられるようになったのは、数少ない友人の支えや夫のおかげだと思っています。

目が細くても、たとえ見た目が男性的だとしても私には変わりがない、そう言い続けてくれた人たちのおかげなのです。

私は思うのです。

世の中には、ひどい言葉がたくさんあります。そして、外見至上主義も社会に根強く残っていることは、確かです。

ただ、この世の中に醜い人なんて一人もいません。ブスだと言われていい人もいません。もしも、否定をする人がいるのなら、それは、自分のタイプじゃないだけのこと。

人が変わり、見方が変われば、また新たな意見が出てくるのと同じなのです。そして何より、他人を品定めの道具のように、判断すること自体が、一番醜いことだとと、私は思うのです。

もしも、私と同じように容姿にコンプレックスを持ち、苦しんでいる人がいるのなら伝えさせてください。

とても広い世界の中で人間は、目の前にいる人たちだけじゃない。うつむいてばかりいた顔を上げてみると、新しい景色が見えてくる。

否定してくる人もいるでしょう。

時には、ひどい言葉をかけてくる人がいるかもしれない。

けれど、それは彼らがとても小さな世界しか知らないのです。否定する人がいれば、必ず肯定してくれる人もいる。数は少ないかもしれない、けれども、あなた自身の魅力に気づき、愛してくれる人は必ずいるはずだから。

それは家族なのか、友人なのか、恋人なのか、はたまた全く知らない人なのか、それは分かりません。

ただ一つ、あなたの個性を、小さな世界で生きる貧しい心の人たちに、壊されないでください。

唯一無二のあなたという存在を、見失わないでほしいのです。

かつて自分を見失い、暗闇の中でうずくまり続けた私のようにならないでほしいと、心から願います。

 

 

 

 

 

 

ナイーブな私に勇気をください

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