愛される意味を知った時

保育士時代の体験談・過去のトラウマ

私は夫と出会うまで、愛される本当の意味を知りませんでした。

当たり前のように相手が求めることをやり、愛を与え続けていました。

自分の個性を捨て、「理想の彼女」になるための努力ばかりをしていましたし、それが正しいとも思っていました。

どこかで「きっと気持ちに応えてくれる日がくる」とか、「彼もきっと私を愛しているはず」と言い聞かせていたのかもしれません。

しかし現実は、そんなに甘いものではありませんでした。

尽くし過ぎた代償

20歳の頃からマッチングアプリをやっていたので、付き合う人は近くの人ではなく、遠距離になってしまうことがほとんどでした。

近くの人を選べばいい話なのですが、中々地元や同じ県の人には連絡をもらえることがなく、違う県に住んでいる人とばかりマッチしていました。

やり取りを重ねて電話をするようになり、そして、自然な流れで交際がスタートしていく。初めの頃から手の内を明かしてくる人はいないので、第一印象は「とても優しくて誠実な人」いう印象がほとんどでした。

まめに連絡してくれる人、何かあるたびに褒めてくれる人、困った時には相談に乗ってくれる人ばかりでした。

惚れやすい私はまんまと彼らの作戦にハマり、考える期間もなく告白を受け入れて好きになっていました。

初めの頃は、それでも楽しかったです。

お互いに気を遣いながら接しているから、ぎこちなさはあるけれど、嫌な思いをすることはありませんでした。

無意識な上下関係

遠距離の交際ではどちらかの近くに集合するか、それとも中間地点で待ち合わせにするかのどちらかだと思います。きっと、遠距離でも上手く関係を築けている人の多くは、互いに行き来したり、時には中間地点にしたりしながら負担を減らす努力をしているのではないでしょうか?

しかし、私たちの遠距離生活はまるで正反対でした。

当時私は実家暮らしで、相手は一人暮らしをしている人がほとんどでした。付き合いたてだったこともあり、気持ちばかりが先走っていました。

💛長く一緒にいたい

💛お泊まりをしたい

💛少しでも彼の役に立ちたい

そういった理由が重なって結果的に、私が彼の家まで車で行き、家でデートをすることがほとんどでした。

初めのうちはよかったです。

沢山会えるし、お泊まりもできるし、何より彼といる時間が長ければ長いほど、幸せを感じていられたから。

けれど保育士をしていた私の給料は安月給であり、彼に会うだけでもかなりの交通費やガソリン代がかかってしまいます。

正直貯金に回すお金もそれほどなく、ほとんどは彼と会うために消えていきました。

必死に会いに行って得たものは?

毎週のように会いに行く生活は、徐々に疲れが出てきてしまいます。いっそのこと彼に自分の状態を伝えればいい話なのですが、それもすることはできませんでした。

心のどこかで「一人暮らしの彼の家に行く方が都合がいい」とか、「実家暮らしの私よりもきっと金銭面で大変だから」という勝手な理由を思い浮かべて、伝えることを避けていました。

しかし、3ヶ月が過ぎようとしたところで負担は大きくなり、「たまにはこっちに来てくれない?」と伝えると、初めこそ「いいよ!」と言ってくれても、2、3回来てすぐに前の生活に戻ってしまうのです。

それだけならまだしも、過去に付き合っていた元彼たちには「魔の3ヶ月の法則」がありました。

それは、3ヶ月を過ぎたあたりから優しい言葉は無くなり、徐々に容姿について注文をつけるようになる人、お金に極端にだらしなくなる人、自分の趣味以外でのデートは一切拒否する人など、それぞれの個性を出しながら、どんどん上下関係が出来上がっていきました。

7ヶ月を過ぎたあたりから対応はさらに冷たくなり、一年を待つかのように別れを切り出されることがほとんどでした。

そしてその多くが、私と関係を終わらせてすぐに、別の女性のところへと行ってしまうのです。

女性らしく、可愛らしい人のところへ・・・。

中には同時進行をされていたり、期間限定で欲を満たす道具のような存在に格下げされたこともありました。

どれだけ相手に尽くしても、愛を伝えていても、私の気持ちが届くことはありませんでした。

自ら遠いところまで来てくれて、尽くしてくれて、お金も使わなくていいし、面倒なこともしなくていい。ただその時間を退屈にしないようにしてくれる、彼女という名前の都合のいい女として扱うことは、彼らにとってある意味有意義だったのかもしれません。

痛みを知ることで・・・

ここまで書いてきましたが、そんな不幸だった私もようやく夫と出会い、愛される本当の意味を知りました。

きっと普通のことなのかもしれないけれど、私には全てが特別なことばかりでした。

夫とも遠距離恋愛だったのですが、私が彼の家に行くのではなく、会いにきてくれたり、中間地点で会ったりしながらお互いに負担にならないようにしてくれました。

どんなことも楽しんで、何をするにも否定をしてくることもありません。

その代わり「僕は、知らないことを知ることが大好きなんだ。新しい発見を教えてくれてありがとう」と嬉しそうに言ってくれるのです。

それは結婚した今でも変わりません。

そんな夫だからこそ、私は結婚できたのだと思っています。

夫と出会う前、私は人生で最も不幸で惨めな生活を送っていました。恋愛も仕事もうまくいかず、信じかけていた相手に騙されて、100万円以上のお金を盗られかけたこともありました。

自分自身に失望し、生きる希望を失った時に出会ったのが夫でした。

もちろん、人生の全てが恋愛でも結婚でもないと思っています。

結婚をしていなくても、幸せの意味を知っている人は沢山います。

有意義な生き方をしている人も沢山います。

私自身結婚という形ではありますが、夫のおかげで生きる希望を与えてもらい、今もこうして好きなことをさせてもらっています。

ただそう思えたのは、元彼たちとの過去があり、傷ついた現実があったからだとも思うのです。

なぜなら人は、痛みを知れば知るほど、同じ痛みを分け合い、寄り添うことができる、そこに本当の価値に気づくことができるからです。

もしも、順風満帆で生きていたら夫と会うことも、恋をすることも、ましてや文章を書くこともなかったと思います。

恋をしている時、どれだけ理不尽なことを言われても好きという気持ちはありました。けれども、幸せを感じたことは一瞬であり、結局は、あっという間に崩れ去っていきました。

好きでいつづけるには、互いを尊重し尊敬しながら、同じ歩幅で同じ想いでいること、それが一番難しく、何よりも大切なことなのかもしれません。

 

 

ナイーブな私に勇気をください

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